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【お耳拝借!】「何くそ魂」で独自の道を

[2009年4月30日 09:06更新]

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えにし(縁)フォーラムより 福岡ニット会長 圓藤泰久氏(09年4月号掲載)

「福岡ニット」会長 圓藤泰久氏繊維業界では現在、大量生産した商品を安く提供するというのが主流になっています。カーディガンやセーターなどのニット(編み物)製品も、今ではほとんどがコンピューターに管理された自動編み機で作られています。

ですが私どもは“手創り”の良さにこだわり、手動編み機を使った商品を多く提供して参りました。 

一見時代の流れに逆らっているようですが、むしろそれに対応しつつ、いかにお客様や取引先に満足、信頼していただけるかを考えた結果です。

おかげさまで非常に厳しい状況と言われる業界ながら多くの方にご愛顧いただき、今日まで続けることができました。

15歳で丁稚奉公に  

私は3人兄弟の末っ子です。小学校6年生の時に終戦を迎えましたが、あまり裕福な家庭ではなかったために学費が払えず、旧制中学校に進むことができませんでした。

とてもショックでしたがある人の「学校を出ていなくてもちゃんと一流の人間になれる」という言葉に励まされ、博多区住吉にあった「江藤編物店」に丁稚奉公することに。母親が編み物が上手だったこともあって「何とか早く技術を身につけて独立しよう」と頑張りました。 

今の若い人は丁稚奉公といってもピンと来ないでしょうが、親方の家に住み込んでお子さんのお守りや朝食の準備をし、仕事もする。でも辛いと思ったことは一切なかった。

というのも、親方が早いうちから仕事を一通りまかせてくれたからなんです。毛糸店での注文取りから採寸、編み立てまで。責任を感じましたね。外から帰って手動編み機の前に立つ毎日でしたが「これならすぐに独立できる」と楽しくてしょうがなかったですね。

手創りの魅力  

今の福岡市東区名島に「圓藤編物店」を創業したのは、忘れもしない1955年1月1日、20歳の時です。すでに時代が変わり始めていました。戦後の貧しい状態から復興し、衣類もオーダーメイドから大量生産の既製品の時代へ。それで、私どもも既製品を作るようになったんですね。 

その後、60年代半ばのことです。エネルギー革命で炭坑事業が衰退すると、その支援対策として筑豊・筑後地方に内職センターができました。そこで働く地元の奥さんたちに商品を発注するようになったのですがある時、京都の和装品店が発注した手編みのショールに出会いました。手創りならではの温もり、魅力を再認識し、カーディガンなどに活かせないものかと部分的に使ってみたんです。 

すると非常に評判が良くて。「これだ!」と思いましたね。大量生産・消費の時代になり、私どものような小さな会社が生き残って行くにはほかと違うことをしなければダメ。ニットも既製品が主流になっていたにもかかわらず、手動編み機で作る製品を増やしていったんです。

時代に即応して  

ちょうどそのころ、1970年前後からブラザーやコロナなどの家庭用手動編み機が普及し始め、手編みブームが起きました。「そういえば昔、お母さんが家でやっていた」といった記憶がある方も多いはずです。 

手創りの製品はどうしても生産性が悪い。そこで当時各地にできた手編み教室に製造を発注したんです。うちのような会社は九州に1つだけだったこともあり、それこそ九州一円の手編み教室が、いわば「わが社の工場」となったんです。 

ブームを利用したわけですが、普通の家庭のお母さんたちが内職で作るものですから「子どもが病気になった」とか、納期があてにならないことも多くて(笑)。そうした家庭のお子さんが大きくなって「福岡ニットさんのおかげで学校を卒業できた」と感謝されることもたまにあります(笑)。 

現在、ニット製品のほとんどは中国やヨーロッパからの輸入品です。わが社が最初に中国を訪れたのは78年。業界でも早い方だと思います。93年には江蘇省に自社工場を建てました。

美の引き立て役に  

学校に行けなかったおかげで「何くそ」という気持ちで頑張ってきました。柔軟な発想で時代の流れに即応しながらも飲み込まれず、ほかと違った良さをアピールする。その姿勢は基本的に変わっていないし、お客様や取引先から信頼を得られた理由の1つでしょう。 

かつてはいろんな事に手を出しましたがことごとく失敗(笑)。ずっと下請けですが分相応と申しますか、皆様から信頼されかわいがっていただければ十分満足、感謝しております。

これからも多くの方の美しさや人生のドラマを引き立てる商品を提供し続けます。 

★福岡ニットのHPはこちら

 

【圓藤泰久】 <えんどう・やすひさ>
1934年、若松市(現北九州市若松区)生(75歳)
55年、「圓藤編物店」を創業    72年、株式会社「福岡ニット」設立、社長就任
94年から会長 女性用を中心に約70の有名ブランド、40社あまりのニット製品を手がける

えにし(縁)フォーラム 
党派、宗教、団体など組織を超えた「異文化交流」を目指し、多彩な人物が卓話を披露。開催は12回を数える

★本紙があらためて取材、再構成しています

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