カテゴリーアーカイブ: 紙面掲載ニュース

世代交代でも福岡県自民党完勝!夏の参院選、麻生太郎副総理の野望は?

29年ぶりの師走選挙となった衆院選は、自民党が単独で絶対安定多数を確保する294議席の圧勝。福岡県内でも、民主候補が比例復活すら許されない沈没ぶりの一方、自民は公認・推薦候補が全員当選し、比例2人を含め国会議員13人を数える〝完勝〟。また2、3、7区では山崎拓元副総裁、太田誠一元農相、古賀誠元幹事長と党要職を務めたベテランの引退が相次ぎ、世代交代も印象づけた。だが大勝の陰に隠れた事実も露呈。たとえば自民の比例票が目減りしている実態。これに派閥バランスの変化、今夏の参院選に向けた思惑が交差し、自民県連内部からは早くも不協和音の軋みが漏れ始めている。 続きを読む

イトマン事件

平成3年正月、中堅商社イトマンから3000億円以上の巨額資金が、闇社会に流れたスキャンダルが発覚した。この事件の中心人物で、実刑を受け服役していた許永中(韓国籍)受刑者が、昨年11月頃国際条約により韓国の刑務所に移送されたことがマスコミに報じられていた。同受刑者は独特の風貌の持ち主で、福岡に知人がいて、福岡経由で海外逃亡した過去もあり、当時取材で走り回った記憶がある。 続きを読む

福博噂話

昭和38年2月、門司、小倉、八幡、戸畑、若松の5市が合併し九州初の政令指定都市、北九州市が誕生して今年で50周年を迎える
明治以降の富国策で4大工業地帯の一角を担い、石炭と鉄で発展し、合併時の人口は107万人を数えた。だがその後のエネルギー政策の転換で石炭産業が衰退、旧新日鉄八幡の規模縮小が決定的となって、往年の賑わいはうたかたの夢と消えた
一方、賑わいと利権は表裏一体で、かつての好況時は暴力団も潤っていたが、景気の後退とともに利権が減少、しのぎを求めて暴力団の発砲事件などが多発した。そのため一昨年来、福岡県警主導で官民一体となった暴力団撲滅運動を活発化させている。だが逆に一般市民が被害者となる事件が増え、北九州市のイメージは一段と悪化、市民は大きな代償を強いられている
また一時期、市内各所の数多くの煙突から立ち上る七色の煙は自慢でもあったが、排煙も含め、長年北九州市民が苦しんできた公害問題も、歴代市長の熱心な取り組みで、往年の自然環境を取り戻そうとしている。清流となった紫川は市民の憩いの場となり、洞海湾にも魚が戻った。昨年10月オープンした響灘ビオトープでは、準絶滅危惧種のメダカやトノサマガエルなどが観られるという
北橋健治市長も、北九州市のイメージをアップさせるため懸命な努力を行っている。一部の反対する市民を説き伏せ、東北の瓦礫処理を引き受けた
それに比べてどこかの市長はどうだろう。爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいものだ。

永田町リポート 結局はお友達内閣 〜党は軽く、政府が重く、閣僚の失言が危ぶまれる〜

12月26日にスタートした第二次安倍内閣。吉田茂元首相以来の再登板となっただけに、前回の第一次内閣の失敗をどのように教訓化して、繰り返さないかが注目されている。前回の特徴はトップにも嫌なことを言ううるさ型や一家言ある若手を遠ざけ、耳に心地よいことだけを言うお友達ばかりを回りに集めたことが最大の失敗の原因だった。散々批判されたにもかかわらず、あまり教訓にはなっていないようだ。 続きを読む

公的支給の不正が増加

最近、生活保護や母子手当受給での不正の件をよく耳にする。福岡県でも詐欺事件として警察サイドが内偵しているケースがあると聞く。そのうちには立件されたものもあるらしい。
そもそも昔から公的支給に不正はつきものといわれてきたが、国の財政難と絡む社会的な問題としてこの不正受給の問題が大きく浮かび上がってきた。以前は、役所が調査してもなかなか実態が判らず、しょうがないかとなっていた問題だが、最近は警察が詐欺事件として捜査に乗り出すケースが増えてきた。 続きを読む

建築工法の変化で、左官の仕事が激減し倒産 鏝絵(こてえ)を職人技から芸術作品へ昇華 豊後の鏝絵師 後藤仁五さん(65歳)

右官と左官
今回登場願うのは、大分市在住で「鏝絵(こてえ)の仁五」を名乗り、滅び行く左官の匠の技を後世に伝えるべく、努力している後藤仁五氏である。
左官の語源は一説によれば、今から1300年前の奈良時代にまでさかのぼる。当時の建物は柱などの構造物を大工が立て、壁や瓦などは漆喰職人が作業、この2つの職種で建物は建築されていた。内裏や公家の住居、寺院の伽藍など、建築物はすべて朝廷の意向で建てられるが、官位が無ければ朝堂などに上殿することが出来ない。そこで大工を右官とし、漆喰職人に左官という官位を与えたもので、大工の右官は棟梁に変わったが、左官はそのまま職種として残ったものと言われている。

後藤仁五氏は商家の生まれで、学業を身に付けたかったのだが、家庭が複雑で家にいたたまれなくなって、中学を卒業すると同時に家を出た。当然「手に職を」と考え、左官職の親方の下へ弟子入りした。前述したように昔の家は左官職人の仕事が大半で、特に代名詞ともいえる壁は竹組の上に3層の工程が必要とされる。まず赤土だけの粗塗、次に赤土と砂、切り藁を混ぜて中塗して、最後に白い漆喰で整える。そして台所のかまどや流し台も、こて1つで器用に作成、そして土間や玄関のたたきなども左官職の工事範囲内だった。
しかし弟子入りした当初から、こてを握れるはずもなく、最初は漆喰の下地として使う赤土を練り上げる力仕事の連続で、途中で逃げ出す人も少なくなかった。一通りの修業を積み、一人前のこて使いが出来るようになり、若くして24歳のときに独立し、左官職人として請負業の道に入った。

 左官職が要らなくなった
独立してから20年近くは真面目な仕事振りと確かな技術力を評価され受注も多く、利益も出し潤っていたが、余裕が出来て趣味で始めたモーターグライダーの墜落事故で事態は一変した。片足を切断しかねないほどの大事故で、生死の境をさまよったほどだったという。
悪いことは重なるもので、建築工法が大きく変化していく時代の波にも直面した。壁は赤土を何層にも塗り、さらに白い漆喰で上塗りするため、乾燥には時間が必要で、住宅建築が長期間にわたる要因でもあった。しかし左官職の代名詞でもあった漆喰の壁は軽量の不燃ボードに代わり、風呂や洗面所はタイル貼りからユニットバスへ、また台所はシステムキッチンに取って代わられ、工場生産で多くの製品が市場に出回ると、左官職が腕を振るえる仕事はあっという間に無くなってしまった。
経営していた会社も、社長が不在の中では業績が急降下し倒産するのは当然で、先祖から引き継いできた財産もほとんど失うことになった。

鏝絵の制作へ
生死の瀬戸際から生還したものの、左官の仕事が無くなった仁五氏が、会社を整理した後に、これからどうしようかと考え、新しく居場所を見つけ出したのは鏝絵の世界だった。
大分地方、特に豊後から日田、さらに筑前朝倉地方にかけては、古くから土蔵や店舗などの壁面に、左官職人が自らの仕事の証を示す意味で残していた、鏝絵に目が向いた。豊後の鏝絵師「鏝絵の仁五」の誕生である。
もともと鏝絵は、こて1つで漆喰を立体的に盛り上げ、七福神などの福を招く象徴や、花鳥風月、また火災防止を祈願するために水神の龍などを題材としている。江戸中期に静岡県出身の名工入江長八が、芸術の域にまで昇華させた開祖と言われている。大分へもその弟子が伝えたものだが、現存している鏝絵は大部分が左官職の手すさび程度の職人技のレベルでしかなかった。
新たに鏝絵の制作を始めた仁五氏の初期の作品は、墜落事故の影響で神仏に対する謝恩の気持ちが強く、扱う題材にも偏りがあったが、次第に心も落ちつきを取り戻し、幅広いテーマに挑戦するようになったようだ。
仁五氏が目指したのは単に漆喰を山形に盛り上げるレリーフではなく、足や腕や頭が壁面から飛び出し、浮き上がり、奥行きがある立体感を持った漆喰彫刻ともいえる作品だ。だから材料の漆喰も粘着性を強く持たせる工夫を施し、使用するこても工程ごとに変えた。特に仕上げには細かい部分が増えるため、1つの作品を制作するためにへらの大きさや角度が異なる、100種類以上のこてを自ら加工したこともあるという。

鏝絵の新しい領域
これまでは、外壁を飾ることが主流だった鏝絵だが、最近は内装業界でも注目され始めてきた。上の写真は、昨年10月に名古屋駅前の地下街天井に飾られた3点の鏝絵の1つ、雷神の像。地下街通路の角々の天井に飾られているもので、風神、雷神、そして龍神の組み合わせ。それぞれ縦2メートル×横1.5メートル、奥行きが50センチメートルあり、見事なレリーフである。白一色で作られているのだが、光を当てることで陰影が生じ、立体感がより強まるだけでなく、光の色を変えることで、受け取るイメージが大きく変化し、評価が高まっているという。
下の写真は中洲ゲイツビルの焼肉レストラン「肉匠利休」の入口を飾っていた1.5メートル四方のレリーフ。元オーナーの梨田現WBCヘッドコーチがモチーフだった。


また下の写真は、昨年7月に名古屋の大和屋守口漬物総本舗が、東京大丸食品街ほっぺタウンに出店した際、商品である「魚介味醂粕漬鈴波」の看板として店に飾られたもの。縦70センチメートル×横2.5メートルの長方形だが、モニュメントとしても充分に存在価値をアピールしている作品。


今年も新たな鏝絵制作で忙しい。大和屋守口漬物総本舗から引き続き、2月一杯が納期の2つの作品を受注しているからだ。松坂屋デパート名古屋本店地下街の店舗に飾られるもので、1つは商品名「鈴波」の看板で、縦1メートル×横4.2メートル×奥行き15センチメートル。もう1つは、鮭が樽から飛び出すさまを表したモニュメントで、ショーケースの中に置かれるが、大きさは縦1メートル×横1.2メートル×高さ25センチメートルと大きい。
今年65歳を迎える仁五氏は、工房での制作が日課で、数年前からは三男も仕事を手伝い始めており、後継者として育成を進める一方、自らは職人技を芸術の域に引き上げるべく力を注いでいる。
夢は先人から受け継いできた伝統文化としての鏝絵を、現代の建物に融合させることが出来る、古いながらも新しい技術や領域を切り拓き、さらに極めることが出来ればというもので、まだまだ意欲は旺盛だ。

行政の支援やNPO団体の活動で減少するホームレス 非正規拡大や不況長期化で増加の懸念も

失業などによって路上生活を余儀なくされた人、ホームレスが近年、目立って減少している。以前は福岡市内のちょっと大きな公園には、ブルーシートの仮小屋がよく見られたものだが、最近ではほとんど目にしない。厚生労働省の調査では、全国ではこの4年ほどで4割減、福岡市では4分の1以下に減ったという。行政の支援強化や民間の支援団体の活動が功を奏しているといえるが、問題が解決したわけではない。最近は、以前は見かけなかった20〜30代も散見されるという。非正規労働が広がり、不況が長期化する中、今後もホームレスに陥る人が続く懸念がある。 続きを読む

オリジナルスイーツを作りたい

ランチとコーヒー、そしてケーキの店、「ミック コメルシー」が薬院の九電不動産ビル横の建物の1Fで、平成24年5月オープンして半年余り。オーナー兼パティシエの藤野智信さんは障害者手帳を持ち、少し足が不自由だが、前向きで非常に明るい性格だ。 続きを読む

どうなる博多座

今年は4月に東京の歌舞伎座が開場し、こけら落とし公演には「十八世中村勘三郎に捧ぐ」と冠した演目が上演される予定だ。一方、芸どころを自負する福岡では、長い間歌舞伎が上演できる施設がなく、先人が奔走した結果、平成11年6月3日に博多座が開場した。 続きを読む

高島市長 就任2年 その成果は? 滑舌とパフォーマンスだけは立派だが…。

就任から間もなく2年を迎え、折り返し点が近づいた高島宗一郎・福岡市長。九州一の政令市で格段に若いトップの登場は驚きと期待をもって迎えられたが、その後は耳目を集めるだけのパフォーマンス会見にあけくれ、さしたる成果もみられない。それどころか、厳しい財政事情から2代にわたって続けられた市長給与カットをこっそりと廃止したことをはじめ、自ら導入した2階建てバスの市費負担増などが次々と明らかになる中、幹部職員との意思疎通の欠如など綻びもあらわになりつつある。刷新を期待された市長は、むしろ政治家としての資質を問われる事態となっている。

あらわになるつまづきの数々

一連のつまづきが現れ始めたのは9月下旬。高島市長は、7月に自ら打ち上げた中国人公務員の研修受け入れ中止を表明した。尖閣諸島を巡る日中関係の悪化が理由だが、元はといえば「年間800人」「経済効果は5億円」と、部局も想定していなかった数値目標を強引にひねり出させるなど無理な演出で誇大にアピールしたのが裏目に出た。  直後の9月末には、アイドルグループ「AKB48」のメンバーとタイアップして立ち上げた仮想区「カワイイ区」事業で、公募・入札もせずに特別住民票(300円)のインターネット予約・発送業務をRKBに委託。同社が市に無断で「カワイイ区」ロゴを使用していたことが判明した。300円の住民票は、同社の予約では専用ケースつきで888円で販売された。市はうまい具合に民間の商売に利用されたわけだ。事業自体も、アイドル側が指定した広告代理店の見積り通りに費用1000万円を負担。市長の思いつき施策は、ここでも随所にずさんさを見せた。

「報道を見て知った」

10月には、やはり市長肝いりの2階建てバス事業でも不手際が発覚。あて込んでいた国交付金が「民間の収益事業にあたる」として支給されないことが市議会の質疑で判明した。バス2台の購入費は2億1000万円。このうち運行事業者の西鉄が負担するのは3割の6200万円で、あとの7割、1億4800万円は丸ごと市が負担するはめになった。しかも国が不支給を通知したのは昨秋。なんと1年近くも市は事実を公表していなかった。  この話には付録がつく。同月末、記者会見で高島市長は「報道を見て知った」と発言したのである。国からの通知時点と市議会の質疑後、いずれも幹部を含む事務方は市長に報告していなかったことになる。市長が知らされないまま、予算執行に関する重要事項が進められていたわけで、組織の危機管理面からしても通常考えられない事態だといっていい。

こっそり昇給

この問題と前後して、高島氏の浅薄さ、政治音痴ぶりを如実に示す事実も発覚している。財政難から、山崎広太郎市長時代(2004年)から2代続けられていた市長ら特別職給与の減額措置が密かに廃止されていたのだ。  正確に言えば、市長給与カット(10%)は当初2年間の時限措置として条例化され、06、08、10年(この時は期限1年間)と延長を重ねてきた。7年間継続された措置の削減効果は4億2000万円に上るのだが、高島市長はそれを延長せず、2011年度は給与満額1716万円を手にした。事実上の〝昇給〟である。  財政難が改善されたわけではない。市は現在も、市民負担につながる来年度以降の行政改革案を検討中だ。ではなぜか。当初は「全力で市政運営にあたることで責任を果たそうと思った」と腑に落ちない説明をした高島市長は、10月末に再度記者会見し、「(減額措置は)当時の市長の政治判断で行ったもので期限が切れて元に戻った」と釈明。さらに、前任者2人が条例改正によって措置を延長した経緯を「知らなかった」と述べた。  ここでも「知らなかった」である。市長の足を引っ張る勢力が市役所内にいるのでは、と勘ぐりたくなるほどだ。野党議員の間からは「市長の無能をいいことに、行革が職員の給与カットに及ばないよう、まず市長給与を上げたのだ」とうがった囁きも漏れている。

大変な財政難なのに

なぜこれが大きな問題になったかといえば、深刻な財政難が依然続いているためだ。言い替えれば、「高島氏の思いつき・パフォーマンス」が次々と挫折しているばかりでなく、市長本来の職責である行政運営が早くも行き詰まりを見せているといっていい。  一つの証左が、2013〜16年度の財源不足(赤字)は851億円に上るという市の試算。この財政難解消のため市は現在、補助金や住民サービスなど81項目に及ぶ事業見直しの検討を公表しているのだ。検討項目の主なものを挙げれば、私立小中高校への補助金カット、市立幼稚園廃園、市営渡船の減便など。「都市を成長させるには、やめるものはやめないと」とは高島市長の弁だが、これら市民サービスを削って成長する都市とはどんな姿をしているのか。

深刻な意思疎通の欠如と政治音痴

深刻な財政難の中、フリップを使った派手な記者会見の陰で露呈したつまづきやお手盛りの数々を見ていくと、二つの共通項があるのに気づく。しばしば高島市長は重要事項を知らされず(あるいは知ろうとせず)、しかもそれを会見の席などでいとも簡単に「知らなかった」と言い訳する(あるいは開き直る)のだ。  前者は組織内コミュニケーションの不在、意思疎通の欠如を、後者は危機管理意識の低さと政治的センスの欠如を示す。  「幹部職員や議員と酒でも飲んで意見交換? まさか。彼はいつも同年代の遊び仲間と合コンだよ」と漏らした与党議員のつぶやきを思い出す。  グランドデザインもなく、その場その場の思いつきに飛びついては失敗を繰り返す1年生市長。この2年間を肥やしに後半こそはと期待したいところだが、折り返し点を前にもはや高島市政の底は割れたといっていいだろう。

裏から表への難しさ

九州ゼネコンではトップグループの㈱さとうベネックだったが、11月2日東京地裁から破産手続き開始の決定を受けた。同社は昨年末から、オーナーである再生ファンドが企業売却を各方面に打診していたが、最終的には約15億円で交渉がまとまり、金融業の金主として財を成し、東京や福岡の中洲に多数のビルを所有する、ダイセンビルディング㈱の関連会社が購入した。買収資金は投資ファンドからの短期借入で全額を賄い、返済はさとうベネックの手持資金を流用する手法で、金融業者特有の本性を早々と露見させた。しかし建設業というゼネコンの仕事は、受注から代金を回収するまで長期間に亘るもので、余りにも性急な資金収奪が同社を破綻に導き、かえって自分の手で首を絞める結果になった。

オーナーのダイセンビルディングはその間、高額の約束手形を発行、市中金融筋からの問い合わせも増え、この点でも命取りになった。その収拾策として、所有するビルを売却し資金を捻出するようだが、既に同社の不動産リストを、怪しげなブローカーが持ちまわっている形跡があり、噂が噂を呼んでいる。東京銀座に所有するビルは、一等地だけに希望者も多いだろうが、福岡のビルは、問題が多いと関係者は語っている。

一度裏帳簿で入った現金を、表の帳簿に出すのは至難の業で、一歩間違えば税務署に目を付けられる。警察の目は誤魔化せても、税務署を騙すのは非常に難しく、どの様に処分するのか、お手並み拝見と見守りたい。多くの庶民を悪徳金融で泣かせて手に入れたビルだけに、安く買っても怨念が籠もっており、買おうと思っている者も用心することだ。

かつて西日本一の歓楽街を誇った中洲も、一歩裏通りに入ると客の姿は消え、客引きだけが増えている。官官接待の廃止と飲酒運転事故を境に、商売の方法も昔と変わり、背広姿のサラリーマンも減り、飲食店の形態も随分変化している。景気の波が企業にも押し寄せ、広告宣伝費の経費削減から、ネオンの灯も一つ消え二つ消え、骨組みだけの鉄骨が残り、川面に映す風景も寂しくなっている。

年末を控え追い打ちをかけるように、福岡県警の暴力団取り締まりも厳しさを増しており、表向きには暴力団が中洲から排除された印象がある。だが関連と思われる事件も起きており、標章問題が大きな波紋を呼んでいるのも事実だ。夏以降に閉めた店も多いが、年明けには数百軒の閉店予備軍が控えており、家賃なども下がっている。そんな状況下でのビル売却は、かなり困難になるものと、厳しい見方をする関係者は多い。

福博噂話

福岡市は古くから海外との交流が盛んで、神社仏閣も多く、夫々が行なう祭りが今なお継承されている。最近は天神の警固神社が中心となり、神社恒例の大祭や収穫祭などを合体させた、月華祭も始まった。

祭り好きの福岡市民は、市内各所で地域主体の祭りも開催している。薬院地区の飲食店30軒前後が中心となり、毎月最終日曜日に行っている「薬院サルー祭り」は、次第に参加人員が増え約1500人余りとなり、最近は大道芸人も各店を廻り賑わっている。

小さな店のイベントでも、続ければ大きな力になる例もある。西区姪浜の寿司割烹店「たつき」が毎年行なっている「あら祭り」だ。「お客様に感謝」の意を込めたもので、今年で9回目を数え会費は1人1万円。「あら刺し」、「あら鍋」、「あらのあらだき」と「握り寿司食べ放題」に「飲み放題」がつく。大半の客が満足して評判が噂となり、昨年は500人が訪れたと言う。筆者もここ数年間、友人と連れ立って訪れているが、非常に美味しく翌年の予約を入れてから店を出る。

今年も11月19日から22日、そして26日が「あら祭り」だ。11日からの大相撲九州場所期間中は、一気に価格がハネ上がる高級魚だけに、既に「あら」の手配は済ませた。「たつき」が1年間の感謝を込めて行なう「あら祭り」を前にして、この案内状を貰うために、秋口から客も増える現象が起こっていると言う。また福が福を呼ぶと言われているが、「あら」の美味しさと満足感で、宣伝しなくても年末の「おせち」の注文が舞い込む好循環となっているようだ。

永田町リポート 覇気失う野田首相 〜次の目標が見つからないまま「うそつき」よばわり〜

野田佳彦首相の顔色がさえない。国会答弁ではたびたびろれつが回らなくなり、酒量も増えているとささやかれている。「鈍感力」が売りの首相だが、野党からは自民党の谷垣禎一前総裁との「近いうち」解散の約束を果たすよう迫られ「うそつき」呼ばわりされる始末。内閣支持率の低空飛行が続き、次期衆院選に踏み切れば大敗は必至。衆院の与党過半数割れも目前と八方ふさがりだ。

首相は悲願の消費増税法を成立させた後の「次の目標」がみあたらない。消費増税法成立直後には、憲法の解釈変更による集団的自衛権の行使容認などのアドバルーンをあげてみたものの、党内外から袋だたきにあい、たちまちひっこめた。その後は「やるべきこと」がなくなった。

もともと首相は「なれると思ってなった」首相ではない。党内基盤も弱く、様々な党内駆け引きの流れのなかでいわば「棚ぼた」首相だ。

野党時代は「ニッポン丸洗い」がキャッチフレーズで行革がライフワークだった。だが民主党の政権獲得後、財務副大臣、財務相を歴任してすっかり財務省官僚に洗脳されたらしい。いつのまにか、以前は一言も口にしたことのない財政再建、消費増税が「悲願」になっていた。

だから首相の悲願は薄っぺらい。税というのは現在の日本の最大の課題である社会保障をはじめ、国の形の基本を決める基本だ。本来ならば増税を決めただけで終わるはずはない。増税して何をするかが本題のはずだ。しかし、首相にはその「何をするか」が全く見あたらない。

こうなったのは首相個人の問題だけではなく、民主党政権全体の問題がある。09年の政権交代は「何も出来なくなった」自民党政権に国民が愛想をつかした結果だった。ところが鳩山由紀夫元首相は米軍普天間飛行場の県外移転という、出来もしないことを呼号して迷走。次の菅直人前首相は参院選で大敗すると、参院で野党が多数を占めるねじれ国会に対処できなくなった。野田政権となり内閣支持率が低空飛行を始めると、今度は民主党全体が解散恐怖症にかかり、ひたすら解散を先延ばしすることに専念し始めた。「解散を先延ばし、できるだけ与党でいたい」という目標はそれ自体、前向きな意味を何も持たない。いまや政権全体、民主党全体がひたすら後ろ向きな姿勢に徹している。

民主党内では内閣を総辞職させ、若い細野豪志政調会長にすげ替えることで事態を打開しようという案もある。経済対策や補正予算で支持率を回復しようという動きもある。これらはいずれも、自民党の政権末期に実施された案と同じだ。安倍政権も福田政権もしきりに経済対策を強調したし、衆院の任期満了が迫る中での麻生太郎元首相への交代は支持率回復への期待からだった。

その結果どうなったかはみんな知っている。なぜ失敗したのか。それらがいずれも対症療法に過ぎず、政権が何をやるかという本質から遠かったためだ。何かをやるために政権にいるはずなのに、政権にいるために何かをやるという本末転倒なことをいくらやっても国民はだまされない。「殷鑑遠からず」だ。それなのに民主党はまったく同じその過ちを繰り返そうとしている。自民党と同様、民主党も政党としての寿命がつきたとしか言いようがない。

いま、野田政権が描いているのは、いかに整然と自民党に政権を渡すかだ。そのためには第二党の座を維持する必要がある。万が一にも第二党の座を維新の会に明け渡すようなことになれば、政権はいや応なく自民と維新の連立政権となり、民主党はそもそも政党としての存続すら危うくなる。せめて第二党にいることで与党に協力するなり、反対するなりの行動が意味を持たなければ求心力が維持できない。

そのために野田首相が最低限必要と考えているのは、民主、自民、公明の3党合意路線の実質的継続を担保する、特例公債法案の成立。年末の予算編成。さらに来年度予算成立までの政治空白を埋めるために補正予算の成立、この3点だ。

いずれも自民、公明両党の協力が前提だ。特に特例公債法案を巡っては、成立にあたって「予算と一体として処理する」などを内容とした覚え書きのようなものを自公両党と結べば、解散後、政権交代後まで見据えた3党協力の形を残すことができる。こうした形を作ることで、衆院選後の維新の攻勢を今のうちに防ぐ陣営を作っておこうという考えだ。

ただ、衆院議員の任期は来年秋まで。いかに維新の会を恐れようと、先延ばしには限界がある。結局はいかに「美しく」解散するかという課題しか残っていない。

永田町でもっとも可能性が高いとされているのは来年の通常国会の冒頭解散だ。しかし、民主党内では「できれば予算成立まで」という世迷い言も聞かれる。一方で一時取りざたされた来年秋のダブル選挙は「そうなれば衆院も参院も民主党が大敗してどうにもならなくなる」という意見が強く、ありそうもない。

民主党は今や、しょせん、限られた範囲に行うしかない解散の時期さえ決めることが出来ず、右往左往している。

大混乱! 福岡2区自民党事情

安倍晋三新総裁のもとで、政権奪還をほぼ手中にした自民党。「近いうちに衆議院解散・総選挙」という野田総理の言もあって、自民党福岡県連本部は候補者がまだ決まってない、衆院選福岡1区と2区の候補者選定を開始した。2区では山崎拓元自民党幹事長が高齢を理由に不出馬を表明していたことで、公募方式による候補者選定となった。一般的に公募方式は票の掘り起こしにつなげるため、有権者に分かりやすいように候補者選考過程をガラス張りで行うのだが、既に候補者が決定している福岡3区と同様、すべてを秘密裡に進める方針だ。そのため誰が名乗りを挙げているのかさえ定かではない。真相を探れば探っていく程、生臭い話があちらこちらから聞こえてきた。

「修猷館卒で若い人」 

この公募では、締め切り時点でなんと21人が名乗りを挙げたという。当初は18人も、という声さえあったのだが、駆け込みでさらに3人増え21人に膨らんだ。この中で福岡県に縁がないとして外されたのが3人、また書類不備で1人が外され、最終的には17人が残った。

顔ぶれも多士済々で、霞が関官僚や大手商社勤務のエリートから、国際キャビンアテンダント経験者や、たけし軍団所属のタレント、医者に弁護士も顔を揃えているらしい。次の衆議院選挙で自民党候補になることが国会議員への最短コースということもあって、国政議員を目指す人物が殺到したのだ。

しかしこれでは自分と無関係の人物が候補者になってしまう、そんな危機感を持ったのが山崎拓氏だ。本当は出馬したかったのだが、周囲にそっぽを向かれ不出馬に追い込まれた山崎拓氏は、後継の決定になんらかの影響力を行使したいと思ったようだ。山崎派の武田良太衆議院議員・自民党福岡県連会長に「自分の希望は修猷館卒で若い人」と囁いたらしい。

これで山崎拓氏が引退するなら、後継の最有力候補と言われてきた中央区選出の鬼木誠県会議員は、ラサール高卒だから「拓さんの意中の人ではない」との話が広まった。では修猷館卒で浮上するかと思われた阿部真之助市会議員は、拓さんに気に入られていないため、「県会議員がダメなら市会議員もダメだろう」という形で潰されるとの見方が流れている。では誰が本命なのか。

そこで情報通の間で出て来た人物が、三菱商事社員で修猷館卒のS氏である。小川洋知事、麻生渡前知事にもラインがある人物といわれたが、最近はどうもこの噂自体が、三菱地所出身のM氏と混同されたのではないか、との話もあって定かではない。

本命登場か

そうこうしているうちに「拓さんの本命は日銀で現在貯金保険局に出向しているK氏だ」という話が耳に入る。東大卒でアメリカの大学院に学んだという経歴は、福岡を代表する2区の顔として申し分ないというわけだ。このK氏ならば最近福岡県で影響力を増した麻生太郎元首相も異存はないらしい。  というのも福岡3区では古賀誠衆議院議員の姻戚で、古賀派のパーティーでも挨拶した古賀篤氏が候補者に決定している。福岡1区も古賀誠氏の秘書を務めてきた新開裕司氏が、周囲の状況に規定されてグズグズしている対抗馬の井上貴博県会議員を尻目に、東区で辻立ちを重ね候補者としての実績を積み上げてきている。さらに2区で鬼木県会議員が候補となれば、福岡市での麻生太郎氏の影は薄くなる。  安倍晋三総裁誕生にひと肌脱ぎ、キングメーカーとして中央政界では、久々にその力を再認識させた麻生太郎氏としては、この2区こそは官僚出身か大手企業のエリートサラリーマンを候補者として選定してほしいと願っているのだ。だが自分が表に出ては反発をくらう。そこで山崎拓氏に協力し、山崎拓後継候補を認めるというのが現在の麻生太郎氏のスタンス。いまや福岡市・県の財界は中央との関係で太いのは麻生太郎氏のライン。市長も県知事も麻生太郎氏の影響力のもとに誕生した点を考慮すると、山崎拓氏も麻生太郎氏の意向を受けて、2区での影響力を行使するのにやぶさかではない。  S氏の話が最初に流れたのは当て馬だったからで、当初から拓さんの本命は2人といわれていた。それがK氏であり、M氏というのが現在の定説だ。

駆け引きは続く

今回の公募に吉田宏前福岡市長が応募したのでは、という噂も流れた。結局、それはなかったとして落ち着いたのだが、この噂が出てくる理由はある。8月時点で吉田宏氏は麻生太郎氏に出馬を相談していたという。「自民党候補としては無理がある」ということで、見送りとなったというのは有力情報筋の話。「そもそも民主党の推薦で市長になった人がよくもまあ」というのがその人の弁。「首長を1期しか務められなかったにも関わらず、自分を落選させた麻生太郎氏の所に行くとは」とまで酷評する。

このようなエピソードを伴いながら、福岡2区の自民党候補者決定まで密室作業は進む。応募者が多すぎ書類選考で半分ぐらいまで絞り込まないと、面接する時間もとれないという話もでている中で、本命といわれるK氏が出てくるのか、それとも意外な人が浮上してくるのかまだ不透明だ。最近では「山崎拓氏の意向は選定には関係ない」という話も強調され始めた。どんでん返しの様相も呈しつつ、福岡2区の自民党候補者選定は最後までもつれそうだ。

繰上げ召集、復興の先兵、廃業という有為転変の人生 建設技術の承継に心を砕く、最後のご奉公 – (社)福岡県技能士会連合会 会長 黒木一夫さん(87歳)

通信兵

有為転変は人の世の常と割り切ることができれば、自分の周りに起きた出来事を冷静に見つめることが出来る。しかし、人はそこまで完璧な生き物ではない。「あの時はこうだった、こんなはずじゃ…」と悔いることがしばしばある。黒木さんは、戦争、終戦、構造不況という有為転変に人生という小舟を浮かばせた。

今年11月21日に米寿になる黒木さん。「当年とって喜寿じゃと思っておりますよ」とにっこり。昭和57年に自ら設立に関わった県技能士会連合会の会長をずっと引き受けている。

「日本の建設技能は世界に冠たるものなのですが、このままではその技術力が廃れてしまうという危機感があって、当時私が呼びかけて設立しました。マイスター制度を導入して後進への技能伝承、社会的認知の向上を図っていますが、しかし現状は厳しいものがありますね。将来が見えないという獏とした不安があるようです」。長年、建設業界に携わってきた黒木さんは業界の先行きを心配する。これが最後のご奉公、生きがいとも言えそうだ。

大正14年に宮崎で生まれた黒木さんは、戦争が始まったことによる建設ラッシュで、建設業が我が世の春を迎えていたのを見て、建設業界を目指す。宮崎県立宮崎工業学校(現・宮崎工業高校)建築科を卒業し大林組に就職していた黒木さんに、召集がかかったのは昭和19年12月1日のことだった。陸軍中部航空軍の丹波・福知山航空通信連隊に航空通信兵として配属された。「〝トトツー〟の世界ですよ。私達の世代から19歳繰り上げ召集が始まりました」。

山深い基地で短い訓練を受けると、早速通信兵として軍務に従事、召集された頃はすでに戦局が日に日に厳しさを増していた頃で、本土決戦に備えて帰ってきた関東軍の下士官が教育担当だった。まさに本土決戦へ日本全体が身構え始めた頃に入隊したことになる。

しかし、さらに敗色が濃くなると、黒木さんたちは暗号解読作業から防空壕掘りに従事することになる。「20年の5月ごろからひたすら防空壕の穴掘り作業です。本土決戦に備えて秘密通信基地を地下に作るためでした」。岩盤が固いところは、発破(ダイナマイト)でないと掘れない。そこで九州の炭鉱地帯から発破担当者を呼び寄せたという。迷路のように巡らされた秘密基地をようやく掘り終えたものの、「通信機がなくて古いものを運び入れましたが、電波の感度が悪かった」。

通信兵時代の忘れられない出来事は、特攻機との関わりだった。黒木さんは鹿児島から沖縄に出撃する特攻機が発信する電波を受信し、特攻機のチェックを担当、電波が消えた時が飛行士の散華した瞬間だった。 「それぞれの機の電波は、ドレミファで変えていました。電波が途絶えると、〝○号機○○時○○分…〟と報告するわけです」。

8月15日の終戦の日は、基地で迎えた。18日には宮崎へ復員するために基地を発つ。その途中、被爆直後の広島市内の線路が寸断され、歩くことになった。「大林組の広島支店に勤務していましたから、その惨状を目の当たりにして言葉を失いました」。20日には宮崎に帰り着いた。

復興の槌音、労働争議

元の職場に復職し、赴任したのが福岡市だった。占領軍の強い要請で日本政府(特別調達庁)が大濠公園付近に野戦病院(第118ホスピタル)を建設するに伴い、看護婦宿舎の建設に従事することになった。また、昭和23年に開催される第三回国民体育祭(国体)の福岡開催が決定、平和台陸上競技場の建設にも携わることになる。その後、香椎地区の糧秣施設建設に配属される。そこでアメリカ軍が持ち込んだブルドーザー、グレーダー(整地作業機械)、クレーンなどの最新鋭の建設機械を初めて目にした。

「ブルドーザーを見て驚きましたね。今でも大型二種を持っていますよ」。黒木さんの世代は、終戦間際の繰上げ召集から一転、終戦後は国土の復興の先兵として働くことになった。

昭和26年、大林組を退職することになった。原因は労働争議だった。当時は各企業でゼネストが盛んだった頃で、「大林組の労働争議の原因は、後継者選びでした。世襲制か実力主義のトップを選ぶかで、我々組合は世襲制に反対と会社に詰め寄ったわけです」。ついには黒木さんたち組合員は福岡支店に詰めかけ、半年間篭城することになった。結局は組合の要求は通らなかった。黒木さんは「敗残兵は残るべきではなか」と潔く会社を去った。

その後、大林組の下請けで名義人「原組」の元に身を寄せることになった。個人会社から法人化し、専務に就任した。後にオーナーになる寿工務店の始まりだった。社名は創業者の名前「原寿一」から取った。その後、原氏が市議会議員に当選し、公選法で兼職できないために黒木さんが自動的に社長に昇格した。昭和32年、32歳のときのことだった。

当時、福岡には建設会社が雨後の竹の子のように乱立していた。昭和25年に始まった朝鮮戦争による特需が日本経済を牽引し、好景気に沸いた。昭和31年には「もはや戦後ではない」とも言われ、日本経済は高度経済成長のとば口に立っていた。「まさに戦国時代でしたね。地元の業者の先輩たちが〝こんなことやっていて、互いに潰しあっても仕方がない。互いに手を取り合って仲良く仕事を分け合おうじゃないか〟と呼びかけたんです。いわゆる談合です」。業界の先輩たちの呼びかけに黒木さんら若手も呼応し、業界のがっちりとしたスクラムが出来上がった。

「談合=悪」ではない

談合と言えば、悪と決め付けられる。確かに談合罪で違法と決められているからには、談合は悪いと言えなくもない。しかし古くは江戸時代からあるといわれる公共工事の日本独特の受発注形態だが、これは日本人の互助の精神に基づくものではないだろうか。

公共工事の場合、発注者である役所で積算単価に基づいて予定工事価格が決まる。この積算単価は市場価格などを考慮して毎年変化している。つまり、実情にあった積算なのだ。しかし、談合への批判が強まる中で、指名競争入札などが廃止され、予定価格を大幅に下回る落札率で決まるケースが多くなってきた。つまり、ダンピング工事の横行だ。その結果、「安かろう悪かろう」的な工事が増えたり、利益を度外視して受注した企業が倒産することにもなりかねない。

落札率が低ければ、「税金がかからずに良い」と拍手を送り、落札率が高ければ「談合ではないか」というマスコミの論調は基本的におかしい。8割の落札率ならば2割の利益が吹き飛ぶことになる。その結果、技術力がある中小の建設会社は淘汰され、資金力のある大手ゼネコンなどしか生き残れない。談合が厳しく糾弾され始めた背景には、アメリカなどの外資の建設会社が日本市場に参入しやすくするためとの見方もあり、「談合=悪」という単純な構図で捉えるのは、人材不足と技術力低下という日本の建設業界の地盤沈下につながる恐れがある。また、災害などの復旧に大きな力を発揮していた建設業界だったが、こうした業者潰しの結果、復旧がままならない自治体も現実に出てきている。

「不当な利益と批判する声がありますが、予定価格以上の価格で受注できるはずはないのですから、不当な利益を受けることができるはずはありません」。黒木さんはそうきっぱりと否定する。その上で「公共工事という血税を使った工事を引き受けるわけですから、しっかりとした技術と体力を持った企業が責任を持って受注するシステムにいち早く戻すべきですよ」と警鐘を鳴らす。

めぐり合わせ

黒木さんは昭和50年に社長の座を大手デベロッパー出身者に譲り、会長職に退いた。息子に継がせる前のワンポイントリリーフだった。しかし、その25年後の平成12年に廃業してしまう。

「結局、若い頃の組合活動のきっかけになった、後継者問題を私も抱えることになったわけです。つまり、適材適所の人材をトップに据えることができなかった。親の情に負けてしまったのかもしれないですな。修羅場をくぐったことがない息子では激動の業界で生き残ることはできないと判断したんです」。また、東京進出で大型工事を受注して、設計やり直しの費用を回収できなかったことも継続を断念させる直接的な原因になった。皮肉なめぐり合わせではあるが、下請け業者への支払いを完済させて、廃業に踏み切るという最善の判断を下したのは、黒木さんの長年業界に世話になったという感謝の気持ちと矜持があったからではないだろうか。

「経験したことがないことをやらされた人生ですが、これもめぐり合わせとしか言いようがありませんね、 ハッハッハ─」と笑って語る黒木さんの人生こそ、まさに〝人生いろいろ〟のテーマにふさわしい。

営業の真髄

福岡財界には「七社会」と呼ばれている不思議な団体が存在する。正式には「互友会」と呼ばれるもので、各社の役員から部長、課長級の各クラスで定期的に会合が持たれ、情報交換が行われる、非公式の任意団体だ。 続きを読む

中高年の8割に歯周病 – 元気に長生きは歯の健康から。心臓病や認知症にも関係

11月7日と8日は何の日か知っていますか。実は福岡県歯科医師会が定めた「いいな、いい歯。」の日。福岡県下ではこの日を中心に各地で「歯と口の健康を守る」啓発イベントが行われた。歯科医師会がこのような活動を行うのは、人の健康にとって歯の重要性をアピールするためだ。 続きを読む

デパートから和菓子が消える日

福岡市には岩田屋、大丸、三越、阪急の4つのデパートがあり、売上を競っている。デパートは数え切れないほど多くの品を揃えているから、百貨店と呼ばれていた時代もあった。しかしその後、販売している商品によってはアイテム数が増えたため、客の求める品揃えが出来なくなり、百貨が次第に数を減らしていった。 続きを読む

[ 注目の記事 ] 福岡市議を強制送還

福岡市は古くから大陸と往来があり、お茶やうどん、饅頭など伝来の地として有名で、博多区のお寺に石碑がある。当然、人の交流とともに素晴らしい文化も流入、それらを基礎に日本独自の文化が生まれた。だが現在の日本は、インフラ整備など技術面では中国よりも一歩前を進んでいると言っていいだろう。そうした中で、高島宗一郎福岡市長が中国の公務員研修生を、年間800人規模で受け入れると記者会見で発表、知らされていなかった市議会や市役所内部が揺れている。 続きを読む

福岡・北九州両市長の思惑 思いつき高島市長、根回し北橋市長

福岡市と北九州市。県民人口500万の半分を抱え、九州を代表する2つの政令市は、片や民放アナウンサー出身の青年市長・高島宗一郎氏、一方は数々の選挙を経てきたベテラン政治家・北橋健治氏がそれぞれトップを務める。対照的な取り合わせだが、重視する施策、取り組む手法も随分と色合いが異なるようだ。ここ数カ月間だけでも、震災がれきの受け入れ・禁酒令・スマートコミュニティ事業・中国公務員研修受け入れ……と数々の話題を呼んできた両市長。さて、新世紀の〝二都物語〟を繙(ひもと)いてみると… 続きを読む

福博噂話

公務員には数々の恩典があり、その1つに資格が得られるシステムがある。勤務年数などで退職と同時に行政書士や税理士などの資格が付与されている。警察官も行政事務を通算20年前後経験すると、行政書士の資格が得られる。 続きを読む

永田町リポート〜金曜日の夜が怖い野田総理〜 どこまで続く デモの波!

原発の再稼働に反対する毎週金曜日夕方の首相官邸前のデモが止まらない。野田佳彦首相もついにデモを主催する団体の代表者と会うことを決断した。こうした抗議行動を受けて首相が面会するのは異例の対応で、実際首相は当初は全くその気はなかった。しかし、誰から動員されたのでもない、会社帰りのサラリーマンや主婦が続々と集まる状態が続き、無視できなくなったのが現状だ。政党のなかにも「脱原発」「反原発」を掲げる政党はあるものの、そうした既成の組織とは無縁の運動で、政党側は対応をしかねている。国会が市民の声をくみ取れなくなっている現状を表しているともいえる。 続きを読む

『暴力団と癒着』報道の裏側

7月25日、福岡県警刑事二課警部補の中村俊夫容疑者が逮捕された。暴力団関係者に捜査情報を教えて、見返りに現金数十万円を受け取ったのがその容疑。この件をめぐる報道は、異常を極めていた。20日に読売新聞が朝刊一面で、デカデカと報道したのを契機に一気に全社の報道が過熱する。「福博会に情報提供」「工藤会関係者の相談にのった」と当時、県警が進めていた捜査内容が流出。一時は逮捕も難しい、との情報が流れた。なんとか逮捕にこぎつけたものの県警側のドタバタを知っているかのように、贈賄側は金を渡したことを否認。事件の方向はまだ定かではない。

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LEDが光って地上にモールス信号 福岡工大製作の人工衛星「にわか衛星」9月初旬に宇宙ステーションから放出

福岡発の手作り人工衛星が今、地球を周回している国際宇宙ステーション(ISS)に積み込まれ、宇宙への放出を待っている。この人工衛星は福岡工業大学(略称FIT、福岡市東区和白東)情報工学科の田中卓史教授と20人余りの学生チームが製作した小型衛星「FITSAT─1」。先月21日に打ち上げられた無人補給機HTV3号「こうのとり」でISSに運ばれ、現在の予定では9月10日ごろ、宇宙飛行士の星出彰彦さんの手で日本実験棟「きぼう」から宇宙空間に放出される。 続きを読む

何時から騙そうとした

AIJ投資顧問事件を筆頭に、色々な詐欺事件がマスコミで報道されているが、プロの詐欺師が最初から多くの人を騙そうとするのは稀だ。立派な舞台と高価な小道具を準備し、相手が勝手に錯覚する役者を用意しても、仕掛ける場所が多くなれば何処かでボロが出るからだ。 続きを読む

高島市長の「思いつき」市政! 市議会は知らされず、職員は振り回される

福岡市の高島宗一郎市長は中国から年間800人規模の公務員研修受け入れを表明し、今月6日、訪問先の北京で研修受け入れに関する覚書を中国国家外国専家局と交わした。覚書の契約有効期間は5年間。国内の地方自治体が同局と覚書を交わすのは初めてといい、来年度から、ごみ処理や海水淡水化技術など市の保有する技術やノウハウを学んでもらう研修生の受け入れを始める方針だ。だが一方、唐突な受け入れ表明は狙いや目的が分かりにくく、不安を感じる市民やネットユーザーなどから批判、抗議が相次いでいる。

国家外国専家局は主に人材育成を担当する政府機関で、中国国務院・人力資源和社会保障部の下部機関。日本で言えば省庁の「庁」にあたる。「専家」とは専門家の意味で、政府・大学・企業などへの海外専門家の紹介・招聘のほか、公務員や研究者の海外派遣事業などを行ってきた。わが国の「外国人技能実習制度」の中国側窓口もこの機関が務めている。

覚書によると、福岡市への海外研修は国家機関である同局が許可し、研修を希望する各地の地方政府(省、市など)が個別に福岡市と委託契約を交わす、という形で行われる。同様の事例はドイツ・ケルン市、韓国・ソウル市があるだけで、国内の地方自治体として同局と覚書を交わしたのは初めてだと福岡市はアピールするが、受け入れ規模は別として、研修自体は既に国内各地で実施されている海外人材交流と同様だという。

経済効果は5億円?

福岡市によると研修は1人3週間程度、30〜40人を1グループとして行われる。内容はごみ処理技術などのほか節水技術や都市景観整備、環境保護、高齢化社会への対応など市政全般について、施設見学や意見交流、情報交換を行う。また北九州市や熊本市など連携する他市への派遣研修なども検討していくという。具体的には市外郭団体の福岡アジア都市研究所が8月から中国側と内容を詰めていく方針だ。

経費としては1日6000円の研修費をはじめ宿泊費、食費など3週間で1人あたり計60万円が中国側から福岡市側へ支払われると試算されている。年間800人を受け入れれば、支給総額は4億8000万円。福岡市はほぼ全額が市内で消費され、プラスアルファを含めた経済効果は年間5億円に上るとソロバンをはじく。

マスコミ受けを 狙う高島市長

では市の狙いは何か。まずは3日、記者会見で受け入れを表明した高島市長の会見での発言を引用してみよう。

「福岡の高度な環境技術を中国の公務員に研修してもらう。中国は人口が爆発して都市問題が深刻になっていくと思いますが、福岡の持続可能な最高な環境技術をぜひ中国にも生かして頂きたい。地球は1つですから。そういった思いと、福岡が今持っているさまざまな技術をビジネス化して外に出して行きたいという思いがあります」。

「福岡に人がたくさん来ると言うことは、宿泊があって飲食がある。来て頂くことで福岡の経済が活性化される。それは実際に今回は5億円弱が福岡に落ちるわけで、本格的に福岡市が拠点になることによって市にお金が落ちる仕組みを作るというイメージです」。

「まさに稼ぐ都市を具体化するということ。技術をビジネス化して稼ぐ都市としてお金に替えていくことは次への投資にもつながり、財源確保にもつながる。中国にとっても今急成長を遂げていますから、社会インフラ、特に水なんていうのはこれから中国で大問題になると思うんですよね。こういった持続可能なインフラ整備を伝えることによって中国も持続可能な形になる。また水質、空気などいろんな部分で環境は国境を超えますから、中国の環境が良くなるということは一番影響を受けるのは福岡であるわけで、これはお互いにとってウィンウィンの関係ができる。この機をとらえてしっかり福岡のモデルを世界に発信していければと思います」。 「都市問題をどう解決してきているかをお見せして向こうの参考にしていただく。お勉強ですね」。  市長の理屈は、概ね次のようになるだろう。

水質、大気保全などの環境技術や都市管理のノウハウを中国で生かしてもらえば、たとえば毎年、有害物質の飛来で迷惑を被っている福岡市にも巡り巡って恩恵があり、「アジアのリーダー都市」としての地位を内外に示すことができる。中国側が出す滞在費用はそのまま福岡市に落とされ、 「稼ぐ都市」が実現できる—─

中国海外研修の実態は?

よく言えば前向きで楽天的だが、「地球はひとつ」などの脳天気さは別としても、冷静に考えれば実に浅薄で論理飛躍も著しい。高島市長は「すべて公開する」と威勢がいいが、実態は「ハード整備等は別。たとえば海水淡水化施設を見学してもらうことはあるだろうが、濾過装置など特許に関わる部分は見せられない」(市国際課)。つまり到底、技術移転などと言えるレベルではないのだ。では3週間の研修で何が学べるのか。その研修で中国の都市、環境政策の何が変わるのか。

実際、日本向けに中国情報を配信する通信社レコード・チャイナ(東京)の以下の報道も、こうした疑問を裏付けている。「中国では昨今、公務員の『海外研修』が盛んだが、その実態は『研修名目の旅行』というのは公然の秘密。果たして、実のある研修になるのだろうか」「(海外研修に行く)本人たちは単なる福利厚生の一部としか思っていない…巨額の血税を費やしても、研修成果はまずみられない」。

情報提供を 中国は拒否

こうした疑問、不安を報道に接した市民らも敏感に感じたようだ。市によると、研修受け入れに関する意見は3日の市長会見後、わずか3日間程度でメール、電話など200件超に上った。会見内容を報告した市長のツイッターも批判でたちまち「炎上」。「技術が流出しないか心配」「税金使って売国奴か」「ばか」など批判・反対する意見が大半だった。  中国大使館書記官によるスパイ疑惑が浮上したばかりとあって、インターネットでも反響を呼んだ。スパイ行為、反日工作を警戒する趣旨の意見が大半を占めたようだが、中には「飲酒運転でも伝授するの?」「中華人民共和国・福岡自治区の誕生ですね」「1カ月60〜70人の買い物で経済効果って、福岡はそんなに小さい街だっけ」など冷笑じみた反応もあった。

もちろん地方都市での活動だから国家機密などとは無縁だが、「相手を絞ってプロが接近する欧米流スパイと違い、官民が広範囲で網をかけるのが中国式。友好も装って長期的に情報網を構築する」のが中国流諜報術。中国への輸出が禁止されている部品・技術が毎年相当数、シンガポールや香港企業を介在させて違法に海を渡る実態を見ても、「アジアのリーダー都市」を標榜する以上は慎重になって然るべきだろう。  現に研修生の人選は完全に中国側に委ねられる一方、ケルン、ソウルにどのような派遣実績があり、どんな研修内容だったかなどについて中国側は情報公開していないのだ。

ある市幹部は「完全に市長のパフォーマンス先行。わきの甘さをまた露呈してしまった」とため息をつく。担当部署は当初、各地方政府との契約次第なので目標など出せないと渋っていたのを、高島市長が「インパクトがない。それでは『稼ぐ都市』を打ち上げられない」と無理やり数値目標をひねり出させたのだという。

独り歩きの高島市長

結局、「1カ月禁酒令」に見られるような、いつもの高島流「思いつきアピール」なのだろう。記者会見で話題が移り、「職員に禁酒要請を振り返ってのアンケートをするなどということは考えてないか」と問われた市長の回答が、この市長の資質をよく物語っている。市長はこう答えた。「そういうことはもう頭にもなくて、中国のことを考えていましたから」。

福博噂話

福岡県警は指定暴力団の糧道を断つ作戦で、福岡県内の自治体と協力し、土木建設関連企業との付き合いを厳しく取り締まり、会社名などを公表、長期間の指名停止を課している。暴力団と親交があるというだけで、公共工事から締め出されると、民間業者も死活問題となるため付き合いの怖さを改めて認識し、暴力団と距離を置き始めたことで、糧道を断つ作戦は一見すると成功したかのように見える。だが暴力団が獲物を探す嗅覚は素晴らしく、次なる獲物として医療福祉業界をターゲットにしたようだ。 続きを読む

議員リポート 〜沖縄基地問題に見る日本の課題〜日本をどうやって守るのか?

戦後日本は、アメリカとの同盟関係の中で平和と豊かさを享受してきた。しかし、鳩山由紀夫首相(当時)が「最低でも県外に移転」と宣言して以来、沖縄の在日米軍は反対世論の猛抵抗にさらされ、日米同盟の信頼関係にもヒビが入った状態である。日米関係はどうあるべきか?日本はどうやって国を守るのか?重たい課題が山積する中、アメリカ政府により主催された研修プログラムが「IVLP 日米同盟の強化について」である。好運にもこの時宜を得た研修に参加した福岡県議会議員・鬼木誠が、3週間に及んだ研修の成果をレポートする。 続きを読む

【記者’sEYEs】 – 節電要請はいいけれど

枝野経済産業相との派手な喧嘩に敗北、結局人事の変更で「やらせメール」問題にピリオドを打った九州電力が経済産業省の不興を再びかったようだ。会長・社長の交代後は静かになりを潜めて、川内原発の再稼働を待つ姿勢に徹していた、九電が何をしでかしたのか。 続きを読む

19歳で結婚、福岡に飛び出て得たご縁 – 「一期一会」と「報恩感謝」

株式会社ハルクジャパン 社長 普久原朝昭(ふくはら ともあき)さん(48歳)

ご縁を大切にする

「一期一会」人との付き合い方でよく使われる言葉だが、本来の意味は「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という茶道の言葉から来ている。これから何度も会うかもしれないが、もしかすると二度と会えないかもしれないという覚悟で、人と接するべきという先人の教えは、目まぐるしく過ぎる時間軸の中で生きる現代人こそ心がけたいものだ。 続きを読む

バブル時代のデベロッパーオーナー

玄界灘に面し、海外との交流が盛んだった福岡市は、太平洋戦争で一面焼け野原となった中から復興した。戦後の一般住居は木造平屋がほとんどで、一部2階建があった程度。昭和30年代の高度成長期に住宅不足を解消するため、公営の鉄筋コンクリートアパートが市内各所に建設され、入居には高い競争率が待っていた。 続きを読む

グローバル化に対応 福岡県国際交流センター 国際理解教育や外国人支援

急速にグローバル化が進む世界。地域の発展も、いかにこのグローバル化に対応できるかにかかっている。古くからアジアへの玄関口として歴史誇る福岡だが、その歴史に安住するわけにはいかない。海外からやってきた人々をあたたかくもてなし、その異なる文化から学び国際理解を広げる一方、国際感覚豊かな人材、国際化を担う人材の育成が求められている。福岡県においてそうした幅広い取り組みを行っているのが財団法人国際交流センター(福岡市中央区天神、新宮松比古理事長)だ。同センターの設立は1989年6月。今年で設立23年になる。

同センターの取り組みは、国際化を担う人材の育成や友好都市・地域との交流、国際交流を行う団体や個人の支援、海外の福岡県人会の支援、そのほか国際交流に関しての情報提供や広報などと幅広い。

アクロス福岡3階に 「こくさいひろば」

その活動の一端をかいま見られるのが、事務局を置く福岡市中央区天神のアクロス福岡3階の「こくさいひろば」。広いワンフロアのスペースに交流スペースや書籍やビデオなど情報提供コーナー、外国雑誌・新聞コーナー、留学資料コーナーなどがあり、いつも外国人と日本人、外国人同士の交流が行われている。

ひろばでは、奇数月には外国人スタッフが中心となって外国の文化を紹介したり、一緒にお茶を飲んだりしながら交流する「こくさいひろばカフェ」、偶数月には国連人間居住計画(ハビタット)福岡本部のスタッフが、世界での活動を紹介する「ハビタットひろば」を開催している。もちろん、利用はだれでもOK。外国の資料などを見にふらっと入ったのがきっかけで、外国人の友人ができるなんてこともあるかもしれない。

全国でも注目 留学生サポート

ひろばの一角にあるのが、全国でも注目されている「福岡県留学生サポートセンター」だ。多くの大学や高等教育機関が集まる福岡県内の留学生は約9300人で全国第3位。これら留学生は母国にとっても福岡にとっても貴重な人材。手厚くサポートすることで、国際交流の架け橋にも県内企業の有能な働き手にもなる。

そのため、アルバイトの紹介や生活相談、地域社会との交流の支援、日本企業への就職の紹介、福岡県留学生会の支援も行っている。こうした在学中の支援だけではなく、入学前には海外での福岡留学フェアの開催(ハノイなど8都市)、県内の外国人学生向けの進学説明会の開催、さらに卒業後のフォローアップ事業として昨年は「留学生・帰国留学生交流フォーラム2011」を開催、また帰国留学生会の設立支援も行い、昨年9月に「ベトナム元日本福岡留学生会」、今年2月には「上海福岡留学生会」を設立している。

県内在住の外国人は約5万2000人あまり(09年)。70人以上在住する国だけでも16カ国に及ぶ。こうした在留外国人が地域社会に溶け込む壁になっているのが言葉。すでに日本語学校のほかにボランティアによる日本語教室が県内に80教室(今年3月末)開設されているが、日本語教室などのない地域もある。そこで、同センターではNPO団体と協働し、未設置地域に日本語教室の初期開設支援を行っている。08年度に八女市と朝倉市、09年度に中間市と宗像市、10年度に糸島市、11年度に行橋市に開設した。

小・中・高校に 留学生講師派遣

国際化を担う人材の育成も重要な事業。それにはまず、青少年への国際理解教育が大事というわけで、小・中・高校に県内在住の留学生や青年海外協力隊など海外活動経験者を派遣する取り組みを行っている。11年度は講師派遣が63カ所111人、講師紹介が48カ所81人にのぼっている。

青少年を海外に派遣するアジア友好事業も活発に行っている。昨年8月には高校生6人をタイ・バンコク都に派遣。現地の高校を訪問しての交流やホームステイを行った。また今年3月には、バンコク都が各国の友好都市の大学生を招待し、経済、環境、観光などのテーマを議論した「バンコク・シスターシティ・ユース・プログラム2012」に4人の大学生を派遣した。

海外には、ブラジル、パラグアイなど9カ国、21地域に海外福岡県人会がある。福岡県人の海外移住は1885年のハワイ移住が最初。戦前、5万1240人が海を渡り、戦後も93年までに中南米に4368人が移住している。県人会も今や2世、3世が中心で、日本語や日本の文化を知らない世代も増えている。そこで、県人会の子弟を県内の大学などに毎年1年間、留学生として受け入れ、各自の専門知識や技術の習得とともに、福岡県の文化や社会に触れ、地域住民と交流することで、福岡県と移住国の架け橋となる人材の育成に努めている。  来年2月には「第8回海外福岡県人会世界大会」が開催される。そのため、各県人会を訪問しての交流促進・関係強化にも力を入れている。

ユニークな取り組みとして、アジアの若者文化交流を活発にするため、最新のポップカルチャー情報を多言語(7言語)で発信するウェブサイト「アジアンビート」がある。11年度は184カ国・地域(延べ)の海外からも含め1117万アクセスがあった。

女性大将、22歳の心意気

「屋台をやっている親戚が体調を崩したことから手伝うようになりました」  下村さんは高校卒業後にアルバイトをしながら、飲食に限らず自分の店を持つことを目標にしていたという。屋台をやっている親戚のことや、年々屋台が減っている話を聞いたのが、そんな20歳の頃だった。 続きを読む

日本トレイド株主総会

未公開株販売が詐欺行為と判断され、経営陣が逮捕されたH&M事件で、売買に利用されていた日本トレイドが、第15期定時株主総会を6月29日開催した。 本社を引き払い、代表自宅に移転したため、会場は博多駅近くの貸会議室。会社の要請で決算書を作成した女性税理士が、会場準備を手伝っていたのが印象的だった。総会では前日までに社員が根回ししたのか、決算報告も質問無しで承認された。ところが、第2号議案の取締役、監査役2名の辞任の件で問題が起きた。辞任する取締役が挨拶の中で、代表をうそつき呼ばわりしたため会場内がざわつき、議長役の代表は弁明と収拾に追われる事態となったのだ。 続きを読む

観光都市福岡を目指せ!

県外へのPRを含め課題山積か?

福岡市中心部を2つの異色のバスが走っている。昨年3月に就航した「福博みなとであい船」こと那珂川水上バスと、今春スタートした「フクオカオープントップバス」こと2階建てバス。福岡県、福岡市の肝いりで始まった2事業はまずまずの出足を見せたが、先行した水上バスには伸び悩みの気配もうかがえる。新しい観光の足の先行きは平坦路ばかりではなさそうだ。 続きを読む

福博噂話

中央区の天神プレイス1階に、新しく「BROT LAND」というパン屋がオープンしていた。持ち前の野次馬根性から車を止めて覗いてみると、店内には焼きたての美味しいパンの匂いが漂っている。すると突然名前を呼ばれ、一瞬わからなかったが、作業着姿の若い男性は、数ヶ月前まで福岡の老舗菓子舗、千鳥饅頭総本舗の原田健生社長だったから改めて驚いた。千鳥饅頭総本舗の社長を辞任して、同社のパン部門を独立させたと言うではないか。 続きを読む