「心から笑える日 もう来ない」 遺族の心の傷 いまだ癒えず [2011年1月28日10:51更新]

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(10年12月号掲載)

生前の寺田太郎さん将来を嘱望されながら飲酒運転による事故で命を落とした造形作家・寺田太郎さん(46=当時、写真)。

08年1月号で紹介した寺田さんの死から3年。「太郎の死を忘れたいとも思ったが、何の手立てもない。いくらお金を積まれたとしても、一生癒えることはない」。遺族の悲しみと怒りは今も消えない。

「私たちのような目にあう人を少しでも減らしてほしい」

歓楽街や飲み会に出掛ける前にちょっとだけ、理不尽な事故で愛する家族を失った人たちの存在に、思いを馳せてほしい。



 

「ぽっかり空いた太郎の穴を埋めるように、息子の残したギャラリーの運営に力を入れて、心を紛らわせています。太郎は長い旅に出たんだ、そう考えて自分をごまかしながら暮らす毎日です」  

寺田さんの母親・翠さんは静かにこう語った。

「あれ以来、心から笑えることはなかったし、これからもないでしょう。こんな気持ちを抱えたまま、死んでいくしかないのかなあ、と」 

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寺田太郎さんは博多が生んだ「九州派」の画家として知られた故・寺田健一郎氏の長男で、鉄を溶接して造る彫刻やオブジェ、住宅や店舗などの内外装を手掛ける造形作家だった。 

07年1月には佐賀県・吉野ヶ里に弟の瀬下黄太さんや仲間たちと新しいアトリエ「AMPギャラリー」を立ち上げ、新たな活動を開始。将来を嘱望されていた矢先、命を奪われた。 

事故があったのは07年12月15日未明。福岡市で忘年会に出た後、自宅へ帰るため久留米市内を歩いていた寺田さんは、後ろから来た車にはねられ間もなく死亡した。運転してた男は忘年会でビールなどを飲んだ後、別の店へ車で向かう途中だった。 

自動車運転過失致死罪などに問われた男に対し、福岡地裁久留米支部は翌年3月、「忘年会で酒を飲んだ上、別の店に行こうとした安易な行動、さらにわき見運転をした結果の事故で責任は重大」などとして懲役2年(求刑同3年6カ月)の実刑判決を言い渡した。 

判決を受け、遺族らは「人の命を奪っておいてたった2年とは・・。飲酒運転をしたら即免許を取上げるとか、罰則を厳しくしない限り、同じような悲劇が繰り返される」と話していた(写真)。 

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寺田さんの死後、ギャラリーでは遺作展を開催(写真)。また昨年11月から1カ月あまりの間、寺田健一郎氏の没後25年記念展を開いた。

だが、ギャラリーの主役となるはずだった寺田さんがいないためになかなか新しい作品を制作できず、普段はギャラリーを貸し出したり工房を他の作家に提供したりしているという。 

事故当時、結婚して3年だった寺田さんの妻は「太郎はもういないんだという現実をなかなか受け入れられない。そんな彼女を立ち直らせたいと腐心した」(翠さん)。今は「太郎に近い環境から離れた方がいい」との勧めに従い福岡を離れ、仕事に打ち込む日々を送っているという。

「あれから加害者は1度も私たちの所をたずねて来ない。連絡もない。2年の刑期を終えたのかどうかすら、知るすべがない」。翠さんは憤る。

「けが1つ負わなかった加害者は、いずれ社会復帰して普通の生活に戻る。私たちのことを思い出すこともないでしょう。なのに被害者の方は、心の傷を癒す手立てもなければ、誰を恨んでいいのかも分からない。一生、この思いを背負っていかなければならない。あまりに理不尽です」

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生前の寺田さんは、飲酒運転による事故のニュースに触れるたびに「まだこんなことが起きるのか」と憤っていたという。吉野ヶ里でイベントがある際も、酒は振舞うものの運転する者には注意を呼び掛け、飲んだ者には用意したテントに泊まらせていたという。 

「飲酒運転事故をなくそうと、街頭に立って呼び掛けたりもした。それでも事故の被害者は減るどころか増えているといいます。私たちのような目にあう人を1人でも減らしたい、心からそう願っているのですが」(翠さん)。