老舗料亭 異変? [2016年5月30日05:00更新]

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戦前から日本のエネルギーを支えてきた石炭、特に高度成長期を支えてきた石炭ブームが、那珂川と博多川にはさまれた中洲を、西日本一の歓楽街に育てあげたといって過言ではなく、最盛時には那珂川の河畔には料亭が軒を連ね、川沿いの柳の下を粋な芸者衆が行き交ったと、銀行出身で遊び人の先輩から聞いたことがある。
しかしエネルギー革命で石炭から石油へと代わる中で、遊びの世界もお座敷からクラブへと移り変わり、次々と老舗料亭も看板を下ろし、中州からは情緒も消え、昔の面影も薄れてきた。


有名な老舗料亭の中には、敷地の一部を駐車場に模様替えし、あるいは売却して飲食ビルになった料亭もあり、経営者の努力でミシュランの星を貰い、数ヶ月先まで予約が一杯と、強気の経営が功を奏した料亭があるのも確かだ。
「三光園」のように、広い和室をもっている料亭が、従来は家庭で行っていた結納や結婚式、出産祝い、またお寺での法事の後の食事会などで利用する方法を取り入れ、結構繁盛している料亭もある。
しかし福岡でも由緒ある料亭「老松」は、格式にこだわる営業を続けていたが、女将と先代女将との確執からか、女将が突然座敷へ挨拶に出なくなり、福博財界人の間で何があったのか、話題になり始めた。
一方で「老松」は大手企業御用達の料亭とばかり思っていたら、最近は中小企業の集まりを、数でこなす営業方針へ切り替えたようで、敷居がだいぶ低くなったようである。