河庄 [2017年9月14日06:45更新]

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現在のような握り寿司は江戸時代の屋台から始まったものだが、今では寿司といえば白木のカウンターの向こうで、威勢の良い親父や、いなせな職人が握ってくれるのが普通だ。

かつて町の小さな寿司屋では、1日2升の米が寿司になって消費されれば、経営は成り立つといわれていたものだが、今はどうだろうか。

福岡で寿司といえば、年配者が一番に名前を上げるのは西中洲の「河庄」で、以前はのれんわけで独立した職人は、「玉庄」などのように、「庄」の字が入った屋号を名乗っていたが、最近は「河庄」の知名度が落ちたのか、新しくオープンする店の話も聞かなくなった。

和食の店でコース料理を提供する店も少なくなったが、最後の締めで寿司を出す、寿司割烹を考案したのは、河庄の創業者である高木健氏と聞いているが、格式ある西中洲の河庄本店に、活気ある昔の面影がなくなり、寂しい。