<写真特集> 知られざる屋久島【下】 [2008年2月25日17:00更新]

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倒れた杉に咲く大文字草手付かずの自然に「癒し」を求め、今日も多くの人々が屋久島を訪れる。 

この島の魅力とは何か。そう問われれば、人によっていろんな答えがあるだろう。

あえて1つ挙げるとするならば私は、延々と続いてきた「生命の営み」の中に自分を置くことができるから、と答えたい。

確かに、数千年という、われわれには想像も実感もできない時を過ごしてきた屋久杉に触れられる、ということもある。だがそれだけではない。

森にはいくつもの「生と死」がある。それに触れ、感じることができる光景。その中に自らを置くことで、自分自身という存在も、ごく小さいものではあるが、何万年と繰り返されてきた大自然の営みの一部なのだ―こう実感できる。
(写真=倒れた杉に咲く大文字草)



 

中が洞(うろ)になった、ある大きな切り株。そこへ入ってみる。

光がさす方向を見上げると、上には若い杉のこずえが広がる。生と死。異なる「時」を同時に体感できる瞬間だ。 

原生の森には、多くの「若杉」が並ぶ。樹齢は300-500年前後。1000年を超えないと「屋久杉」とは呼ばれない。 

朽ち果てた倒木。そこはコケに覆われている。失われた生命はやがて土に還り、新しい生命へと引き継がれてゆく。 

yaku03.jpg森の中には、いたるところに水の流れがある。その流れは時折瀧となり、濃い緑の空間を走り抜ける。 屋久島は「1カ月に35日雨が降る」といわれるほど多くの雨量がある、「水の島」でもあるのだ。

すべての生命の源である水。自然がもたらすこの「恵み」が、屋久島の森を育んできたことは疑いようもない。 

去年は春から夏にかけて、屋久島の山々は霞む日が多かった。 雨ではない。黄砂だった。秋の紅葉がずれ込み、山岳地帯が雪を被った日も少なかった。 世界遺産・屋久島といっても、それは東シナ海に浮かぶ小さな島にすぎない。「地球」という「大きな入れ物」の中の一部にすぎないのである。

その地球に今、重大な変化が起きつつあるとするならば、この小さな島がそれと無関係でいられるはずもない。

青々とした森の中で、ごく一部ではあったが、どういうわけか枯れている木々に出会った。「酸性雨かもしれないし、理由は分かりません」と長年、森を見てきたMさんも首をかしげた。

また、ウミガメの産卵地である砂浜は少しやせて、上陸するカメの数も減ってきている。 浜に来る観光客が増えたためか、街灯が明るくて上陸しにくくなったのか。それとも、地球規模の何かがあるのか。理由ははっきりとは分からないが、屋久島も変わりつつあるのは、確かだ-そう実感できる。

アジアの大気汚染、そして地球の温暖化は、屋久杉の森にも確実に影響を及ぼしている。 数千年の間、揺るぐことなく続いてきた森の営みに、人間の「臭い」がするようになった、ということかもしれない。

Mさんと歩いた原生の森。その奥に、名もなき巨木たちが今も生きている。人の手が及ばぬ領域が、まだあることに安心するのは自分だけだろうか。

神々しく輝いていた、あの屋久杉はあと何百年、生きられるのだろう-癒されるべきは人間ではなくて、森であり、神々の山ではないかと感じている。

 (了)

★屋久島とは?