【ONLINE限定 連載企画スタートのご案内】 [2008年1月28日09:05更新]

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<新連載>ギニアビサウからの手紙  

朝倉市のNPO法人ボランティア活動奮闘記

アフリカの西端に位置するギニアビサウ共和国。ほとんどの日本人になじみがないこの国で、朝倉市のNPO法人「エスペランサ」(ポルトガル語で「希望」)が学校建設などのボランティア活動を続けています。慢性的な貧困、クーデター、内戦・・。さまざまな困難の中、10年以上にわたる活動ぶりやギニアビサウの魅力、現地の人々との交流などを、エスペランサ理事長、馬場菊代さん(左写真中央)に紹介していただきます。 

★連載は毎月1日にアップ予定です。ご期待下さい! (掲載写真はすべてエスペランサ提供) 



 

「最初に現地を訪れた時は想像以上の貧しさに、これから先一体どうなることかと正直、思いました」。馬場さんらが初めてギニアビサウを訪れたのは1994年。その時の印象を馬場さんは「最悪だった」と笑う。

ギニアビサウは、「パリ・ダカールラリー」で有名なセネガル共和国と、タレントのオスマン・サンコンさんの出身国として知られるギニア共和国にはさまれた小国である。国民の9割が絶対的貧困にあえぐ、世界最貧国の1つだ。

馬場さんら10人のメンバーが「ギニアビサウの女性や青少年への教育による生活水準の向上」を目指し、NGOを設立したのは96年。最初は女性の自立支援を目的として、洋裁・識字教室「クルソ・エスペランサ」(ポルトガル語で『希望の学校』)を現地に開いた。

だがその2年後、クーデターをきっかけに内戦が勃発、国外退去となった。内戦は99年に終結したが、避難民約30人が首都ビサウに流れ込むなど、国土と人心は荒廃した。「もともとギニアビサウでは73年の独立以来、クーデターが相次いできました。不安定な政情が貧しさに拍車を掛け、子どもたちは教育を受けたくても受けられない。平和な日本からは、とても想像できませんでした(馬場さん)。

こうした厳しい状況にもめげず、2000年には洋裁・識字教室を再開、01年には戦争孤児のための里親制度を導入した。また03年、念願の小学校(ソナック小学校)を設立するなど、エスペランサは着実にその活動を進め、04年には県からNPO法人としての認可を受けた。

ソナック小学校の子どもたち

「まるで故郷に帰ったような気になるんです。それに子どもたちは純粋で人懐っこい。本当に子どもらしい子ども、といった感じ」。馬場さんはギニアビサウの魅力についてそう語る。「現地には『国の未来のために何としても教育を充実させるしかない』と一緒に頑張ってくれる人たちがいる。そんな熱意に応えたいという気持ちが、私たちの活動を支えているといえます」

「もちろん、いい面ばかりではありません。泥棒なども多く治安も悪い。そういったことも含め、現地で触れたさまざまな出来事や魅力的な人々を紹介できたら、と思います」 

【エスペランサの連絡先】 電話・FAX 0946-24-9263

★ギニアビサウとは?