葬儀の遺族席 [2012年6月4日09:19更新]

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訃報が飛び込んできたが、葬儀の日時が月末と重なり、予定を変更することが出来なかったため、前日の通夜に参列することにし、JRで佐賀に向かった。
故人は生前に100組余の仲人をしたと聞き、都会では考えられない数字だけに、大勢の人が参列した立派な通夜だった。

翌日の葬儀の様子を参列した友人の一人に聞いたところ、弔問客で会場は溢れ、弔辞を読む人も多く、通常の倍の時間を要したとのことだった。

だがこのように数多くの弔問客が集う葬儀が営まれる一方で、身内だけで故人を見送る家族葬も増えており、先日入って来た訃報は、義理ある人だっただけにお仏壇に線香を供えようと思っても、家には誰もおらずお参りすることが出来なかった。

既に亡くなっている父親は地元建設関係の実力者で、一人息子は有名私大を出て一流企業に勤めていたが、なぜか未婚で母親との二人暮らし、今回母親が亡くなり残された広い家には独身の長男が一人で住んでいるらしいが、故人を見送れなかった友人知人など周囲の結論は、初盆にお参りすることで落ち着いたようだ。

戦後の復興を企業戦士として戦ってきた人たちは、家族を養うため馬車馬のように働き、自分の夢を叶えることは出来なかったから、せめて子供の夢は叶えてやりたいとの親心で、自由に育てたが結婚しない子供が増え、親の葬儀さえ満足に出来ない家庭環境になったかのようで、実に嘆かわしい話だ。