中洲が衰退してきた [2013年2月19日16:36更新]

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例年なら12月に入るとクリスマスソングが流れ、街は活気付くが、昨年は衆議院選挙が重なり、おまけにクリスマスイブが3連休となって、中洲などの歓楽街は最悪の師走になったようだ。
福岡市の中心を流れる那珂川は、江戸時代に黒田家が城を築き武士が住む福岡と、海外との交流で発達した商人の町博多を、二分する境界にもなっていた。上流からの土砂が堆積され出来たのが、西日本一を誇る歓楽街の中洲だ。ここには約半世紀前に百貨店福岡玉屋が誕生し、庶民の娯楽である映画館が軒を連ね、昼間から多くの人で賑わっていた。初夏には那珂川沿いに金魚すくいなどが並び、その横には屋台が並んでいた。

そしていつの間にか、バーと呼ばれる飲み屋が増え、夜の蝶とも呼ばれた女性を目当てに多くの男性が群がり、今でも語り継がれる多くのロマンスが生まれたものだ。料亭の「老松」「まさ」「仲柳」があり、「上海」「金馬車」「白い森」「レッドシューズ」などの高級クラブ、特に「薊」は夜の商工会議所としても有名で、福博政財界人が毎夜通っていた。

大衆向きのキャバレーには数多くの女性が働き、店の中で売上ナンバーワンを競い、優秀なホステスは他店からの引き抜きもあった。当時の客の売り掛けはホステスの負担で、店を変わる際には清算を求められ、バンスと呼ばれる契約金が生まれた。また1人の女性を巡って一晩で数百万円の現金が乱れ飛んだこともあったようだ。当時の中洲で働く女性は、美容室で毎日セットしタクシーで通勤するのが誇りで、一般紙と日経新聞を必ず読むように教育されていた。どんな客が来店しても話題に事欠かず、会話ができるよう常日頃から努力していたものだ。

当時は1階が店舗で2階が住まいの店が多かったが、次第に店舗だけのビル化が進んでいった。店が増えれば女性が不足するのは当然で、昼間の仕事を持つアルバイトが多くなり、客を持たない子のために時間給システムが主流となり、競争の原理が働かなくなった。特にチーママと呼ばれる責任者へは、営業経費を含む手当てが支払われるが、売上への責任は無くノンビリしたものになった。だからというわけではないだろうが、ホステスは時間給を当たり前と感じ、ただ座って時間が経つのを待ち、話題で客をもてなすことが少なくなったため、中洲の酔客は減る一方で、クラブやスナック経営者の懐は寂しくなっている。

川面に映るネオンサインは中洲の代名詞だが、景気の低迷で広告契約が更新されず、骨組みだけになり、実に味気ない風景と化し、中洲の高級店もパナソニックやシャープなどの家電メーカー同様に赤字経営を強いられ、まるで日本経済の縮図を見ているようだ。

昨年末の総選挙では自民党が圧勝、安倍政権の景気回復策に期待が集まっているが、同時に中洲のネオンが再び明るく輝く日を期待したい。