<写真特集>続・知られざる屋久島 ある山師の記録(4) [2010年2月25日09:17更新]

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土埋木の搬出は、わずかに残った山師たちの暮らしを支えた。

高田さんが経営する有限会社「愛林」は現在総勢7人。「名前の由来ですか? そうですな、山を本当に大事にする心、愛する気持ちがなければいい仕事はできないですから。そういう思いで付けました」  

林野庁の許可を得て伐り出す土埋木は当然、年々減少していくばかり。だが、山を歩き回った末に探し出した木が、市場でどれだけ評価され高い値段を付けたとしても、その苦労に対する見返りはまったくない。

林野庁との契約で決められるのは1年間に運び出す量と対価のみ。木の質は問われないからだ。 



それでも髙田さんは妥協せず「いいもの」だけを探す。森の中に捨てられ埋もれていた屋久杉が髙田さんたちの手で里に運ばれ、工芸品として世に出る。素晴らしい素材を探し出すこと、それこそが山師としての誇りなのだ。  

 

巨大な屋久杉を切り出す技を持った、最後の山師たち。伐採が取りやめられてから現在まで、工芸品などに使われている屋久杉は、すべて髙田さんとその部下たちが運んだものである。 

 

人は自然とともに生きる。森は厳しくもあるが、同時に人に恵みをもたらしてきた。 

奪うばかりでは何も残らない。 森は言葉を発しないが多くのことを教えてくれる。 

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いよいよ伐り分けた屋久杉を運び出す。今回は大型のヘリコプターを使ってつり上げる。

地上もヘリも危険を伴う作業。ヘリの乗員は機体から身を乗り出して、山師の姿を探す。

木立の中のわずかな空間に長さ約30メートルのワイヤーを降ろさなくてはならず、ヘリと山師との間で緊迫した無線交信が続く。

釣り上げられた土埋木は、林道が通る数キロ先の「土場」まで運ばれる。1日に数十回、往復することもある。

ヘリによる搬出は、1週間続けられる。山の天気は変わりやすい。時間と、天候との闘いである。

(続く)