<写真特集>続・知られざる屋久島 ある山師の記録(6) [2010年3月1日09:00更新]

タグで検索→ |

noimage

伐採が中止された1970年以降、40年の歳月を経て、小杉谷は若い杉と照葉樹の森となっている。二次林である山桜があたりを埋め尽くし、カエデの若葉と杉の濃緑が美しいモザイク模様を描き出す。

春。白谷雲水峡から映画「もののけ姫」のモデルとなった苔の森を抜け、太鼓岩と呼ばれる場所に立つ人々は、その絶景に驚く。

山桜の絨毯が広がり、ところどころに新緑が彩りを添えて遙か彼方、宮之浦岳などの峰々へと続く。

全国の桜を見てきたという登山客が言った。「ここの桜が日本一ではないでしょうか。こんな素晴らしい風景は、他にはないです」



それが、かつて人が森を伐ってきた「傷跡」であることを、ほとんどの人が知らない。 

桜の絨毯の森に立ちつくす、もう白骨化してしまった屋久杉だけが、その歴史を見てきたのだろう。

 

それを問うこともなく、訪れる人々の心を癒す。何と自然は、慈悲深いのだろうか。 

 

表土のほとんどない屋久島では、苔があるおかげで植物たちが育つ。雨をたっぷりと含み、命の大地となる。そしてまた、倒れた屋久杉もまた、次の命を育む大地となる。

日が差す場所に種子や胞子が落ちると、やがて発芽する。屋久杉もまた、こうして発芽し1000年の時を刻む。

搬出が終わると髙田さんは必ず、そこに杉の苗木を植える。「頂いたものはきちんと返す」のだ。

「千年も経つと、また立派な屋久杉になっていることでしょう。江戸時代の人たちが見ていたであろうすごい森、そんな森に戻したいですな。僕もあんたらも、見ることはできんのだけど」。高田さんは笑った。

 

「この仕事を続けた理由ですか。そうですな、楽だと思ったことは一度もないが、性に合っとたんでしょう。山に入ると、心が安らぐんです」。そう言った後、髙田さんは少し目を細めながら続けた。

「たくさんの屋久杉を見てきました。大きなやつは、たいてい中心部が空洞になっとるんです。あの中で、屋久杉の中で死ねたら、いいですな」

 

今は小さな若木たちも、1000年が過ぎれば屋久杉と呼ばれるようになる。私たちは見られないけれどもその中には、髙田さんたち山師が植えた木々も、あるはずだ。

(了)