「添田町の天皇」の実像(1)起訴後も町長に居座り続け [2010年4月5日14:38更新]

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(10年3月号掲載)

福岡県町村会がある自治会館(博多区)「福岡県町村会」(写真)を舞台とする贈収賄事件は、山本文男・前会長(84)=添田町長=と中島孝之・前副知事が起訴され終結した。

だが山本氏はいまだに町長を辞職しておらず、保釈後も地元の集会に顔を出すなど、何事もなかったかのように公務を続けている。 

有名国会議員とのパイプを活かしながら絶大な権勢をふるい、被告人となったことすらどこ吹く風の「添田町の天皇」。山本町長の実像とは─。 



 

「このまま皆さんとお別れかと思ったが、点滴で回復した」。今月7日、地元添田町で開かれた女性集会。冗談を交えながら壇上で語る山本町長の姿が、同8日付の西日本新聞に掲載された。 

10期40年近くに渡ってトップに君臨し続ける「添田町の天皇」と、麻生渡知事の側近中の側近として県政を動かしてきた「敏腕行政マン」。県外にもその名が知られた2人が逮捕・起訴されるという今回の贈収賄事件は、多くの県民に衝撃を与えた。 

前副知事は昨年12月、接待疑惑発覚直後に辞任。だが山本町長は、今月8日になってようやく県町村会長を辞任(全国町村会長は失職)したものの、町長職にはいまだ止まっている。「起訴後も町長の座に固執し続ける神経には呆れるほかない。罪の意識などまったくない証拠でしょう」(大手マスコミ記者)。 

被告の身になりながらも何喰わぬ顔の山本町長に、関係者は呆れたり感心したりしている。

元参院議員・村上正邦氏の盟友

山本町長は、かつて添田町にあった炭坑の会社で働いていた。労組委員長として何度も交渉をうまくまとめ上げ、頭角を現したという。その後は会社の労務担当を務め、炭坑閉山後、地元の英彦山病院事務局長、添田町議会議員を経て1971年の町長選で初当選を果たした。 

炭坑時代、元参院議員の村上正邦氏(01年、KSD汚職事件で逮捕・起訴され実刑が確定。09年、仮釈放)と一緒に働いていたエピソードは有名だ。

「山本町長の方が年上で、いわゆる兄貴分として何かと村上氏の面倒をみてやっていた。だから村上氏が参院自民党の大ボスになってからはその付き合いを活かし、添田町にバンバン事業を持ってきた。それが、10期も町長をやっていられる最大の要因でしょう」(同町関係者)。

(続く)