のんびり・うきは

福岡市は人口157万人を超え、中国や韓国などアジア各国からの訪日観光客も増え、外国の言葉が飛び交う活気ある街となっており、国内5番目の都市に成長している。
今や☆印がつく飲食店も増え、食べ物についても全国から有名老舗も出店して手に入り、ビジネスも活発に取引が行われ、福岡市民の多くは適度な緊張感を持って、日頃の生活を送っている様だ。
張り詰めた気持ちが長引けば、何らかの欠陥が生じて病気になるのは必定で、時にはリラックスのひと時も必要で、時間にゆとりがあれば旅行も良いが、短時間で過ごす時はドライブを兼ねて、うきはの町を訪れると良い。
大勢の観光客が訪れる観光地と違い、全て100%の満足を得る店は少ないが、「客が店を育てる」の言葉があるように、素朴な店の人と接していれば、不思議に気持ちが和んでくる、町が「うきは」である。

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尾花しずく 満5歳

朝倉や東峰村、日田市では豪雨で大変な被害を受けているが、5年前の北部九州豪雨で、うきは市も同じような災害を被ったことがある。

大分県境の近くにあった「スモークレストラン・イビサ」は、店のすぐ横を流れている川が増水、濁流となって店に流れ込み、客席が流される被害を受け、避難している最中に産気ついた妊婦が、自衛隊のヘリコプターで病院に運ばれて生まれたのが、「尾花しずく」ちゃんだ。

あれから5年、父親の経営するレストランも営業を再開し、今ではしずくちゃんも、幼稚園年中組に元気に通っており、妹のみちるちゃんも生まれ、仲良く緑多い豊かな自然の中で育っている。

伝統建築をめぐる冒険~古民家探訪シリーズ~エスアールエスタッケイ

うきは町の県道106号線を合所ダム、浮羽カントリークラブ方面へ5キロほど上ったところ、隈上川の川面を隔てて佇む大きな古民家「野上家」がある。
安政3年(1856年)に建てられた母屋はレストラン&カフェとして。また明治6年(1873年)に併設された立派な漆喰の蔵は、バラエティ豊かな作家の個展を開催する趣のあるアートスペースギャラリー「安政(あんせい)」として、毎週、土、日、月曜日と祝日に営業されている。


本来は茅葺の屋根だが、現在は保護の意味もあり、瓦型のトタン(鋼板)に覆われて見えない。しかし、これを外せば「杉皮葺き屋根」とよばれる、日田や天ヶ瀬地方独特の茅葺が現れるそうだ。

屋敷へと続く石積沿いのアプローチを通って母屋入ると、綺麗な土間の右手に現れるのは御前・ゴゼン、仏間・ブツマ、座敷・ザシキと呼ばれる広い空間。中でもゴゼンは15畳もあり、その上部にはしる、それはそれは立派な梁に誰しも目を奪われます。(残念ながら写真はアリマセン・・・)
つづくブツマの開口部からは川面が望め、夜には漆黒の県道から、川越しに観えるブツマの際に置かれたスタンドの明かりが美しく浮かぶそうだ。
 
野上家は江戸時代末期からつづく浮羽随一の山林地主で、その家格にふさわしく地域最大規模の屋敷とあって別棟・ハナレが2棟あり、奥のハナレからは庭園が広がっている。
 
 

オーナーの東野ふさ さんから色々お話を伺っていたところ、次々に学生とおぼしき方々が入って来られたため、旅行ですか?尋ねたところ九州大学の建築学科研究室の生徒さん方で、年に1度はこの地で泊り込みのフィールドワークをしているとのことだった。
今から「野上邸」をフィールドにされるとのことだったため、あつかましいとは思いつつ優秀な生徒さんたちに混じって、引率の方の解説を拝聴した。
また、この日はめったに開かれないブツマの仏壇もご開帳していただき、まるで日光東照宮をコンパクトにしたような、繊細で豪華な職人技には正直、感銘すら受けたものだ。

これだけの規模で当時の姿を残しながら現存していることもさることながら、実際に人が暮らす古民家で、こんな風に気軽に内覧までできる処はそうそうないだろう。
そんな幸せをしみじみ噛み締めながら、奥のハナレでお庭を眺めつつ美味しいケーキをいただいた。

【古民家探訪シリーズ~㈱エスアールエスタッケイ代表 住吉 英智】  

㈱エスアールエス宅継 (タッケイ) 
本社:福岡市中央区舞鶴2-7-1-313
TEL:092-518-8870
FAX:092-510-0932

 

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