駅弁・折尾の東筑軒

国内旅行の手段が汽車だった時代の思い出は、何と言っても列車内で食べる弁当が一番で、中には有名観光地よりも駅弁を求めて、旅行を計画する人も居たほどだ。

黒田五十二万石の城下町であった福岡と、古くから海外交易で栄えた商人の町博多が一緒になって福岡市が生まれ、旧国鉄の駅を祇園町に定めて、博多商人の心意気から駅名に「博多」の名を冠したと、幼い頃から聞いて福岡で育った。

博多駅には有名な「寿軒」という駅弁専門の老舗企業があったが、汽車のスピードが時間との戦いで早くなり、売り上げも厳しくなって博多駅から消えており、寂しいばかりである。

今尚健在なのが北九州市の折尾にある、かしわ飯の駅弁を販売している「東筑軒」で、昔食べた味が懐かしく、最近は駅でなく博多大丸に駅弁を買いに行くが、結構売れているようだ。



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福岡の気質

福岡は昔から海外との交流が盛んで、「来る者拒まぬ」の気持ちが旺盛な町で、明治以降において北九州は工業、一方で福岡は商業の街として比較されて来た違いがある。
福岡の中でも博多は根っからの商売人が多く、更に祭り好きな気質を象徴したものとして7月に行われる祇園山笠がある。
豊臣秀吉が行った約500年前の町割が、今でも生きているのが祇園山笠で、同時に商売人である町人による、町の自治と生き残る術は強く、福岡人の目利きが今回の福岡県知事選挙で、見事に活かされていると言って良いだろう。
自民党の推薦を受けた武内和久氏は、当初の予定では福岡市長である高島宗一郎氏が、民間人として安倍内閣の大臣に就任した暁には、後任の福岡市長候補になる予定で、厚労省を辞めて福岡に帰ってきたと聞いている。
それが大臣の話が消え宙に浮いた時に、北九州出身の国会議員に唆され、甘言に乗って知事候補に祭り上げられたのが真相のようだ。
既に選挙の勝敗は決まっており、大票田である福岡市民が現職の小川洋知事に傾けば、勝ち馬に乗りたい大勢の福岡県民に伝わり、雪崩現象が必ず起こると予測する人もいる。

博多の名物が消える

博多の町には市民が利用する、「うどん」「ラーメン」「てんぷら」等を提供する数多くの飲食店で、店によっては無料提供している「イカの塩辛」「からし高菜」などだが、昨年あたりから原料の高騰もあり品薄状態、ピンチに陥っている店から悲鳴が聞こえてくる。
韓国では料理を注文すると、無料でお代わり自由のキムチやナムルが数種類出て来るのにヒントを得たと思われるが、その店によって種類や味が楽しめ、無料と言うのが実に嬉しいサービスだ。
「イカの塩辛」や「からし高菜」を、結構楽しみに贔屓の店に通っている話を最近良く聞き、先日「天麩羅ひらお」の前を通ると、何故か少し客が減っているように思え、庶民の小さな幸せを何とか企業努力で乗り切ってほしい。



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「博多祇園山笠」のスケジュール

博多祇園山笠は、毎年7月1日から7月15日まで行われる。フィナーレとなる7月15日の「追い山」に向けて、連日数多くの神事が執り行われる。この行事は曜日は違えども、毎年変わらぬスケジュールで執り行われる。
◎7月1日~14日深夜・・・飾り山一般公開
博多祇園山笠は7月1日から博多部を中心に合計14の飾り山が公開され、絢爛豪華「静の山笠」飾り山の公開で博多祇園山笠は15日間の日程がスタートする。
◎7月1日~9日・・・・・・お汐井(しおい)取り
各流ごとに集合して、「お汐井(しおい)道」と呼ばれる小道をたどって一路箱崎浜を目指す。一部の山笠役員を除き、この日が初めて山舁(か)き姿になる。
◎7月10日・・・・・・・・流舁き(ながれかき)
博多祇園山笠は「静」から「動」へ。この日からいよいよ舁山(かきやま)が走ります。
◎7月11日(早朝)・・・・・朝山
流舁(ながれかき)からわずか12時間後、陽がまだ昇らぬ早朝5時より、博多の街を「おっしょい」の声が響き渡る。
◎7月11日(午後)・・・・・他流舁き
さらに朝山から10時間後、自分の流域外に出て他の流域に舁きいれる。唯一1日に2度舁く日なので舁き手は大変ハード。
◎7月12日・・・・・・・・追い山ならし
「追い山」に向けた予行演習。しかし予行演習と侮るなかれ。時間と距離が本番コースより若干短い以外は本番同様。山の男達は他の流より1秒でも早く駆け抜けようと本気で山笠を舁つぐ。
◎7月13日・・・・・・・・集団山見せ
舁き山が博多部を超えて福岡中心部に渡る唯一の日が13日「集団山見せ」で、その名の通り、7つの流すべての舁山が一堂に介し、福岡市役所前の桟敷席を目指す。
◎7月15日(早朝)・・・・追い山
博多祇園山笠のクライマックス「追い山」は午前4時59分、一番山笠が櫛田入り奉納を皮切りに、合計8つの山笠(上川端通の飾り山を含め)が次々と櫛田入りを行い、まだ薄暗い博多の街をゴール(須崎町問屋街)を目指して駆け出して行く。



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伝統の「博多祇園山笠」がスタート

福岡・博多の街に7月1日から、770余年の伝統の祭り「博多祇園山笠」が始まる。
7月15日の「追い(おい)山」まで、博多の街が「山笠」一色に染まる。
博多山笠の起源は通説あるが、博多山笠振興会によると鎌倉時代の仁治2年(1241年)博多で疫病が流行した際に承天寺の開祖・聖一師(円爾)が町民の担いだ「施餓鬼(せがき)棚」に乗って、祈祷水を撒きながら町を清めて回り、疫病撤退を祈願したことを発祥とする説が有力とされている。
また、博多祇園山笠には「流(ながれ)」というものがあり、豊臣秀吉による天正15年(1587年)の「太閤町割り」が起源と言われる。
秀吉が町割りをするきっかけとなったのは、当時、中国や朝鮮といった大陸貿易の基地として大いに栄えていた博多の支配権をめぐって、様々な諸大名達が博多の町を戦場として戦った結果、博多の町が焼け野原となった。
中でも天正4年(1576年)、島津義久が博多を撤退する際に町に火を放って全市を焼き払い、薩摩に逃走。
これを追いかけた秀吉が島津を降参させて博多に戻り、博多の復興に乗り出し、その手始めが区画整理としての町割りであった。この町割りは東は御笠川、西は博多川を境に、市街を十町(約1キロ)四方と定め、幹線道路を東西に3本、南北に4本走らせ、その一区画を「流(ながれ)」と呼んだ。
この「流」が博多祇園山笠のグル-プ単位の発祥となり、現在は、千代流・恵比寿流・土居流・大黒流・東流・中洲流・西流の七流となる。
また、観光客や見物客用にJR博多駅地区から天神地区まで福岡市内に14の「飾り山」が建てられ、町を歩く人の目を楽しませている。
博多の街は山笠一色に染まり、山笠の舁(か)き手の男衆(おとこしゅう)達は熱く燃える。



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