寿司の名店が消える

福岡市内にある寿司の名店と言えば「河庄」、関西で修行した高木健氏が昭和22年に西中州にオープン、多くの寿司職人が巣立って行った。

暖簾分けで独立した寿司店は、店名に「玉庄」「中庄」など、「庄」の字を用いることで、高木氏から指導を受けた証としていたと聞いている。

博多区中洲の「ささだ河庄」は、本店の料理長を務めた笹田輝男氏が、昭和55年に独立した名店であるが、後継者もいないところから、年内をもって暖簾を下ろすようだ。

「河庄」本店も後継者の問題から既に経営者は変わっており、河庄の味を守ってきた「ささだ河庄」が消える事は実に寂しい思いがする。



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河庄

現在のような握り寿司は江戸時代の屋台から始まったものだが、今では寿司といえば白木のカウンターの向こうで、威勢の良い親父や、いなせな職人が握ってくれるのが普通だ。

かつて町の小さな寿司屋では、1日2升の米が寿司になって消費されれば、経営は成り立つといわれていたものだが、今はどうだろうか。

福岡で寿司といえば、年配者が一番に名前を上げるのは西中洲の「河庄」で、以前はのれんわけで独立した職人は、「玉庄」などのように、「庄」の字が入った屋号を名乗っていたが、最近は「河庄」の知名度が落ちたのか、新しくオープンする店の話も聞かなくなった。

和食の店でコース料理を提供する店も少なくなったが、最後の締めで寿司を出す、寿司割烹を考案したのは、河庄の創業者である高木健氏と聞いているが、格式ある西中洲の河庄本店に、活気ある昔の面影がなくなり、寂しい。