「吉塚」の由来 その1

妙見の交差点から線路の高架下を抜け、100mほど行った右側に小さな神社があります。
鳥居の扁額には「秋葉宮」と書かれています。

社の表には、「明永護神」、中に「正一体 秋葉大明神」と書かれています。静岡県の浜松市にある秋葉山本宮秋葉神社を総本山とし、火の神様「火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)」が祭られていると思われます。

この「かぐつちのかみ」という神様は、イザナギとイザナミの神産み(様々な神を生み出した出来事)で誕生しました。しかし火の神様であったことから生み出したイザナミがやけどを負い、死んでしまいました。怒ったイザナギはかぐつちを殺してしまうという話が残っています。

この秋葉宮のとなりに吉塚の名前の由来となった「吉塚地蔵堂」があります。


「吉塚地蔵堂」の入り口には、吉塚地蔵大菩薩と書かれた石碑が置かれています。
お堂の裏には由来が書かれている看板があります。

筑後の城主、星野吉実(ほしのよしざね)と吉兼兄弟は、九州に侵攻してきた豊臣秀吉の軍勢に抵抗。1586年8月24日、敵将・高橋紹運(たかはししょううん)を四王寺山の岩屋城に追い込み倒しました。今の岩屋城趾近くには高橋紹運のお墓がたっています。
その後、高橋紹運の長男の立花宗茂(たちばなむねしげ)が攻撃を仕掛け落城。星野兄弟は自害しました。
兄弟の武勇をたたえ丁寧に葬ったことから、吉実を祀った塚、吉塚と呼ばれるようになりました。
一人の尼が没後100年に地蔵尊を祭り弔ったことが今の「吉塚地蔵尊」につながりました。
毎年7月下旬には「吉塚地蔵尊祭」が行われています。

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