[2009年9月 9日 10:47更新]
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(09年8月号掲載)
今年も、広島・長崎の原爆の日に続き8月15日、終戦記念日を迎える。核兵器廃絶、戦争反対。あちらこちらで集会が催され、メディアも大きく取り上げるこの季節。特集として組まれた被爆者のドキュメンタリー番組を見るにつけ、被爆国である日本が核兵器のひどさ、実態を世界の人々に伝え続けなければならない責任は大きいと、あらためて認識している。
アメリカは第2次大戦後も朝鮮半島、ベトナム、中東、アフガン、イラクと、各地で戦争を続けている。その過程で様々な兵器や武器が生まれ、戦争そのものが大きく変わった。「戦争」と言えば64年前までさかのぼる日本とは事情が違う。
それでも核兵器に対するアメリカ人の意識を見るにつけ─「原爆は日本との戦争を早く終わらせるために必要だった」という声がいまだに主流ではあっても─日本が発信し続けてきたメッセージは確実に世界に届いていると感じる。オバマ大統領が核兵器廃絶を目指す意向を明らかにしたことを挙げるまでもなく。
それは、メディアを介さない日本の生の声が大きく貢献していると思う。多くの関係者の尽力によって世界各地で写真の展示会が開催されてきた。原爆によって焼けただれた肌、後遺症に苦しむ人々の姿。高齢にもかかわらず何人もの被爆者が自らの体験を語る。おかげでどんな国へ行っても「ヒロシマ」「ナガサキ」の名を聞くことができる。
その一方で、伝えられる戦争体験の記憶=「日本の8月」が形骸化されてしまった感も否めない。私のような戦争の実体験がない世代にとって、個人レベルの日常生活からは程遠く、時代の流れとともにいつの間にか意味が理解されなくなってしまうのでは、といった危惧もある。
新聞、テレビに加え、インターネットなど情報ツールが発達した現代。にもかかわらず海賊行為の脅威や戦争の悲惨さが、はたして本当に国民に伝わっているだろうか。世界中で起きている戦争や紛争のことを理解するには、人々が殺されている映像や怒り・悲しみの証言を無修正で公開する必要があるのではないか。
まずはメディアが「お茶の間にふさわしくない」とか自己規制しないで、死体や悲惨な映像を正確に伝えるべきである。被爆の現実を伝えようと市民が必死になって自らをさらけ出すのと同じように。さもないと、語られる戦争の体験はまるで臨場感のないハリウッド映画、大手新聞の国際面そのものになってしまう。
日本人が戦争を「終わったこと」にしたくても、世界では戦争は終わっていない。同時に、日本が兵隊を直接送り込んでいなくても、何らかの関わりを持った戦争だっていくつかある。それも含め報じるために、日本人自身が危険を冒して戦場で取材できる体制を取り、情報を世界に流せる放送局やメディアがあればいいと思う。そうすれば日本らしい紛争の解決方法を考えるなど、国際平和に大きく貢献できるはずである。
第2次大戦で加害者の1国であるはずの日本が、いつのまにか戦争被害者となったあげく、平和への関心を失わないためにも。
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