[2008年1月21日 18:55更新]
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(08年1月号掲載)
寺田太郎さんは、鉄を溶接して造る彫刻やオブジェ、住宅や店舗などの内外装を手掛ける造形作家だった。
曲線を多用し、しかも何かしら動きがある仕掛けになっているのが、寺田さんの作品の特徴だった。それはまるで「鉄は固く冷たい物」という先入観を覆そう―との思いを表しているかのようだ。
福岡市・六本松のアトリエを中心に活動していた寺田さんは、昨年1月、佐賀県・吉野ヶ里に弟の瀬下黄太さんや仲間たちと新しいアトリエを立ち上げ、同7月にはオープニングイベントとして個展を開いた。
その後、築40年の山王マンション(博多区)のリノベーションに参加。1部屋をまるまるデザインし作り変えるのは初体験で、解体する段階から仲間たちと関わった。
作業は12月1日に公開される朝まで続けられた。独創的な寺田さんの作品は関係者から好評で、自身も「またやってみたい」と意欲を語っていたという。
12月14日午後6時すぎ、鹿児島の関係者に照明などのデザイン画をファクスで送った後、寺田さんは福岡市で開かれた飲み会に参加した。3カ月前、仲間たちと開いた展示会の打ち上げを兼ねた忘年会だった。46歳のまさに働き盛り。忙しかった1年を振り返り、ヨーロッパの美術館などを1人で巡るのが好きな寺田さんは仲間に「来年は外国を旅行したい」と語った。
「アトリエのある吉野ヶ里に通うのに便利」という理由で借りた久留米市の自宅に帰るため、友人とともに最終電車に乗った。駅を降りて帰り着く直前、車にはねられた。日付けはすでに変わっていた。
運転していた男性は忘年会の帰りで、焼酎などを飲んでいた。寺田さんは病院に運ばれたが約2時間後、亡くなった。新聞各紙には事故を伝える小さな記事が掲載された。
生前の寺田さんは、飲酒運転による事故のニュースに触れるたびに「まだこんなことが起こるのか」と憤っていた。吉野ヶ里でイベントがある時も、酒は振舞うものの運転者には注意を呼び掛け、飲んだ者には用意したテントに無理やりにでも泊まらせたという。
06年8月、福岡市東区で起きた3児死亡事故。今月あった判決も含め大々的に報道された。事故を契機に罰則が強化されたものの、飲酒運転はいまだ後を絶たない。
報道の扱いに差があっても、残された遺族や友人らの悲しみに差はない。希望と明るさに満ちた新年を、自分たちと同じように迎えられない人がいる―この現実を、想像してみてほしい。理不尽な事故を1つでも減らすために。
【編注】写真3点は すべて瀬下黄太さん提供
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