[2008年4月 8日 08:47更新]
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(08年3月号掲載)
「米捜査当局がサイパンで三浦和義氏の身柄拘束」―テレビの速報テロップにわが目を疑った。身を乗り出して画面を確認する。そして、ある捜査関係者の言葉を思い出した。「あの報道さえなかったら・・」
ロス疑惑は、三浦氏と一美夫人(故人)が銃撃された事件をはじめ、複数の事件に三浦氏本人が関与したとされる疑惑。1980年代半ば、週刊文春が火を付け、ワイドショーが追随して社会現象となった。
三浦氏は夫人殴打事件で実行犯の女性とともに有罪となったが、銃撃事件では三浦氏らの無罪が確定した。
このころ、筆者はまだ学生だったから、事件を直接取材した経験はない。だが記者として働く中で、当時の捜査関係者から「苦言」を何度かいただいた。
ロス疑惑の最大の焦点である銃撃事件で、捜査当局が三浦氏と、ロサンゼルスで駐車場を経営していたA氏を殺人容疑で逮捕したのは88年。A氏は、三浦氏から依頼されて2人を銃撃した実行犯、というのが当局の見立てだった。
容疑を否認するA氏。だが厳しい取調べに「心が揺れているのが手に取るようにわかった。間違いなくAは『完落ち』寸前だった」。元捜査幹部はそう語る。
実は、捜査当局には取って置きの「隠し球」があった。現場で目撃された白いバン。これが、A氏が借りたレンタカーであったことを突き止めていたのだ。「走行距離がレンタカー店と現場を往復した距離とピッタリと一致した」(元捜査幹部)。問題は、いつこのネタをぶつけるか、だった。
ところが、隠していたこの事実がマスコミに漏れ、特ダネとして報道されたのだ。新聞を手に悩む捜査幹部。「まだ早い」―それを承知で勝負に踏み切らざるをえなかった。
A氏は「顔色が変わり、ワナワナと震え出した」(元捜査幹部)。落ちるか―その瞬間、A氏は「トイレに行かせてほしい」と頼んだ。長い用足しから帰った後は平静さを取り戻していたという。
結局実行犯を特定できず、三浦氏らは無罪となった。「あれが最大で唯一のチャンスだった。あの記事のおかげで・・」そう語る元幹部の苦々しい表情が忘れられない。
日本の司法制度において三浦氏の無罪が確定している以上、その事実を否定するつもりはない。だが発生から30年近く経って再び事件を突き動かしたのは、日米の捜査員の執念と一美さんらの無念さではないかと思わずにはいられない。
弁護側と当局の激しい争いの末、三浦氏の身柄は米本土へ移送されようとしている。一事不再理の原則はどうなるのかなど法律上の問題が山積する中、事件の今後の展開を多くの関係者が見つめていることだろう。
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