[2008年6月18日 08:44更新]
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(08年5月号掲載)
北京オリンピックまであと3カ月足らず。聖火リレーのトラブルも含め、段々と報道も過熱してきている。五輪はメディアにとっても4年に1度の大イベント。開催期間中の現地取材だけでなく、「隠れた師弟愛」「意外な秘話」などの"仕込み"のほか、記者会見や応援雑観などの国内取材が待っている。筆者はなぜか、今や目玉種目となった女子マラソンに縁があった。
92年のバルセロナ大会の前、代表の山下佐知子選手の記者会見が鹿児島であった。京セラ所属の山下選手は前年の世界選手権で2位となり(同じく代表の有森裕子選手は4位)、メダル候補の筆頭として期待されていた。同じく京セラの荒木久美選手と一緒に記者クラブに現れ、質問に笑顔で答えていた。
筆者はその様子を写真に撮っていた。レンズを荒木選手に向けるとファインダー越しに目が合った。その視線はこう言っていた。
「なぜ私の写真を撮るのか」
荒木選手は女子マラソン黎明期に活躍。だが88年のソウルでは28位と思うような結果を残せず、バルセロナでは選出されなかった。
レンズを見つめる荒木選手の視線はまったく動かなかった。目を合わせたまま体が硬まった。どれくらいそうしていたか、シャッターを切ったのかすら覚えていない。荒木選手は一度も笑わぬまま会見場を去った。その後彼女がマラソンを走ることはなかったという。
日本時間の未明に行われた本番では、京セラで応援する同僚らの様子を取材。山下選手は4位と好成績だったが、送った原稿はほとんど使われず、翌日の紙面は銀メダルを獲得した有森選手で埋め尽くされた。
この時出場したもう1人が小鴨由水選手。初マラソンで当時の日本最高記録を叩き出して選ばれたものの、本番では体調不良から29位と惨敗した。その後小鴨選手は岩田屋陸上部に入部。96年のアトランタ大会は、福岡市内でコーチとテレビ観戦した。その様子を多くのメディアとともに取材した。
この大会でも有森選手が銅メダル。終了後、コーチ、小鴨選手と一緒の車に乗った。レースを振り返り「今後こうしよう」と語りかけるコーチの言葉に小鴨選手は何度もうなずいていたことを思い出す。だが同陸上部は99年に廃部、小鴨さんは現在、福岡市で福祉関係の仕事に就いているという。
メダルによって残酷なまでに線引きするメディア。だがドラマは、表舞台だけで演じられるわけではない。取材経験から、どうしてもその裏側に目が行ってしまう。本番だけでなく、今まさに人知れず繰り広げられているはずの多くのドラマに、思いを馳せている。
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