[2008年10月20日 10:39更新]
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街中を歩く力士の浴衣姿は冬の博多の風物詩だ。今年もあと2カ月あまり、まもなく九州場所が始まる。だが相撲界は八百長問題などでかつてないほど揺れに揺れている。
1997年の大相撲九州場所。当時大相撲は若貴ブームで大人気、入場券を確保するのが大変なほどだった。人気力士である元大関の小錦(現KONISHIKI)の引退が確実視され、それがいつになるのか、多くのマスコミが注目していた。
場所が始まる直前のある夜、私は相撲取材で福岡入りしていた旧知の大手紙運動部記者と酒を飲んだ。野球やサッカーなどスポーツの裏話を肴に楽しく飲む中、私は相撲の話を切り出した。「八百長はあるのか」。すると運動部記者は即答した。「99.9%ある」。
記者もプロ、取り組みをそばで見ていると、真剣勝負なのかそうでないのかはある程度わかるのだという。記者は「みんながみんな『演技上手』ではないので、中には思わず笑いたくなるような負け方もある」。さらに、東西の支度部屋を行き来する付け人の「怪しい行動」もまた、確実にあるのだという。「普通にこの仕事をしてる人間は、みんな知ってるよ」。ちなみに100%でないのは「物証がないから」とのことだった。
当時、「週刊ポスト」が長期間に渡って角界の八百長問題を追求していたが、一般メディアは一切報じていなかった。私は運動部記者に「なぜ八百長について報じないのか」とは聞かなかった。重要な取材先である相撲協会との対立を招くようなマネを大手マスコミがするはずがない、野暮な質問だからである。
「週刊現代」の八百長報道をめぐり相撲協会との間で訴訟沙汰となっている。現役の横綱、前協会理事長らが証人として出廷するという異例の事態となった。
いずれ下されるであろう裁判所の判断は別として、個人的にはおそらく、八百長の存在を明確に立証すること(例えば現金のやり取りを証明する文書を示すなど)は不可能だろうと思っている。元力士や関係者がいくら詳細に証言しても、指摘された本人が「そんなことはしていない」と否定してしまえばそれ以上は追求しようがない。灰色は、どれだけ黒に近くても、あくまで黒ではない。
だが重要な問題は「八百長が存在するのかしないのか」ではないと思う。
相撲は、通常テレビや新聞で報じられる本場所と地方巡業・花相撲に、大きく分けられる。「真剣勝負の場」とされる本場所と違い、地方巡業や花相撲はショーの要素が強い。先頃行われたモンゴル巡業では現地の観客から「もっと真剣にやれ」と罵声を浴びせられたとの報道もあった。初めて生で見る人々にとって、本場所と巡業の違いがわからないのも無理はない。
現在のマスコミ報道においては、相撲はスポーツに分類されている。大手新聞各社のスポーツ面を見ればよくわかるが、大相撲の結果は大きく扱う一方、同じ格闘技でもプロレスなどはほとんど報じない。ショーの要素が強く、スポーツとは言えないという判断からだ。地方巡業・花相撲が本場所と同じレベルで扱われないのはそれと同じ意味だろう。
今騒がれている相撲界の問題を突き詰めていくと、結局「相撲とは何なのか」という点に行き着くのではないだろうか。スポーツなのか、あるいは伝統芸能、ショーなのか。
その両方の側面を持つのが相撲なのではないか。そしてこの2面性にこそ、大相撲の「悲劇」があるのではないだろうか。
(続く)
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