[2008年10月30日 08:41更新]
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(08年10月号掲載)
快音を残して高く宙に舞ったボールはぐんっと曲がり、信じられないようなカーブを描いた。そして、ホームランの願い叶わずはるか遠く、ライト側のファウルスタンドに消えていった。
北九州市営小倉野球場、太平洋クラブライオンズと読売ジャイアンツのオープン戦。小学生のころ、父と一緒に訪れた最初の野球観戦だった。知っている野球選手といえば王貞治くらい。まだ冷たい風が吹く中、3塁側ベンチ後方スタンドの通路で震えながら見ていた。今でも目に浮かぶ、打球の軌跡。覚えているのはそれだけである。
その後しばらくして、王選手直筆サインが入った額を、父が部屋に飾った。少年時代はずっと、毛筆で大書された「努力」という文字を見上げながら過ごした。
初めて王氏に会ったのは1994年末。福岡ダイエーホークスの監督に就任することになり、当時の末吉興一北九州市長を表敬訪問した時だった。市政記者クラブにいた筆者は、胸を躍らせながら取材した。
帰り際、エレベーターの前で記者や市職員に囲まれた王氏。1人が差し出した色紙(いつの間に用意していたのだろう?)に、柔和な笑顔でサインした。記者連中とのジャンケンに勝利し手に入れた、「気力」と書かれたその色紙は、今でも部屋にしまってある。
万年Bクラスだったホークス。王氏が監督に就任したからといって急に変わるはずもない。1年目は5位、2年目の96年は最下位。この年には敗戦後、ファンから生卵を投げつけられるという事件も起こった。栄光と称賛に包まれた野球人生を送ってきた王氏。なのに、なぜこんなチームの監督など引き受けたのか。怒りにも似た感情を覚えた。
99年、優勝。この時はすでに転勤で福岡を離れていた。中洲で川に飛び込むファンの様子をテレビで見ながら過去の出来事を、そして、批判を浴びながらも「我々は勝つしかない。勝てばファンも拍手で迎えてくれる」と言い続けた監督の事を思い出した。
人気球団の国民的スター選手から一転、屈辱を味わい、そして再び栄光をつかんだ。素晴らしい選手を抱え、熱狂的な地元ファンに支えられる常勝軍団へと成長したホークス。その裏では大変な苦労があったのだろう、大病を患った王監督は、まるで別人のようにげっそりとやせてしまい、映像を見るのが辛かった。
今シーズン限りで勇退した王監督。そんな最後の年にチームが再び最下位となったことも、何か因縁めいている気がする。ありきたりだけれども、今はこんな言葉しか思い浮かばない。
「王さん、ありがとう。ゆっくりと休んで下さい」
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