伝統の「博多祇園山笠」がスタート [2018年6月12日11:36更新]

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福岡・博多の街に7月1日から、770余年の伝統の祭り「博多祇園山笠」が始まる。
7月15日の「追い(おい)山」まで、博多の街が「山笠」一色に染まる。
博多山笠の起源は通説あるが、博多山笠振興会によると鎌倉時代の仁治2年(1241年)博多で疫病が流行した際に承天寺の開祖・聖一師(円爾)が町民の担いだ「施餓鬼(せがき)棚」に乗って、祈祷水を撒きながら町を清めて回り、疫病撤退を祈願したことを発祥とする説が有力とされている。
また、博多祇園山笠には「流(ながれ)」というものがあり、豊臣秀吉による天正15年(1587年)の「太閤町割り」が起源と言われる。
秀吉が町割りをするきっかけとなったのは、当時、中国や朝鮮といった大陸貿易の基地として大いに栄えていた博多の支配権をめぐって、様々な諸大名達が博多の町を戦場として戦った結果、博多の町が焼け野原となった。
中でも天正4年(1576年)、島津義久が博多を撤退する際に町に火を放って全市を焼き払い、薩摩に逃走。
これを追いかけた秀吉が島津を降参させて博多に戻り、博多の復興に乗り出し、その手始めが区画整理としての町割りであった。この町割りは東は御笠川、西は博多川を境に、市街を十町(約1キロ)四方と定め、幹線道路を東西に3本、南北に4本走らせ、その一区画を「流(ながれ)」と呼んだ。
この「流」が博多祇園山笠のグル-プ単位の発祥となり、現在は、千代流・恵比寿流・土居流・大黒流・東流・中洲流・西流の七流となる。
また、観光客や見物客用にJR博多駅地区から天神地区まで福岡市内に14の「飾り山」が建てられ、町を歩く人の目を楽しませている。
博多の街は山笠一色に染まり、山笠の舁(か)き手の男衆(おとこしゅう)達は熱く燃える。