■ 「幸せの扉」――廃校跡地をめぐる3回の不成立
飯塚市内に今、63区画もの新しい分譲地が売り出されている。イタリア語で「幸せの扉」を意味するその分譲地は、かつてこの地域で子どもたちの声が響いていた場所——旧鎮西中学校の跡地である。
遡ること令和4年2月、廃校を惜しむ声が地元に残るなか、策定された「飯塚市都市計画マスタープラン」には、その方針が明記されていた。
「<鎮西地区>・学校跡地の有効活用(地域活性化を図り、居住環境に配慮した土地利用の誘導)」。
市はこの方針に沿って、令和3年から民間への売却手続きを進めていくが、道は険しかった。
令和3年6月に1回目の公募があり、意欲のある民間事業者が1者参加したものの、2次審査を通過せず不成立に終わり、同年9月に行った2回目の公募では応募者はなく不成立に終わった。
1年以上開けて、令和4年12月には条件を見直し実施するも、応募者がなくまたも不成立、ところが、令和5年2月の4回目の公募に1者が応募し、同年8月、その1者に売却が決まった。

■ 現職市議が唯一の落札者に
問題は、その1者が現職の飯塚市議会議員だったことだ。坂平末雄市議、旧・穂波町議会議員時代を含めると通算7期目(飯塚市議会議員としては5期目)で、これまで副議長のポストの買収疑惑などでたびたび新聞に報じられたことのある人物だ。
市民の財産である公有地が、行政を監視する立場の現職市議のもとへ。
それだけでも異常な感じがするが、この4回目の公募期間が市議会議員選挙とかぶっていたのも興味深い。
3回連続で不成立に終わった公有地の売却が、なぜ4回目で現職の坂平市議に落ちたのか。
その謎を解くカギは、飯塚市役所内部にあると見られている。
売却を所管する部課には、坂平市議と「極めて親しい関係」にあったという幹部がいた。
この人間関係を念頭に置くと、公募条件の変遷が俄然、別の意味を帯びてくる。
■ 議会の目をすり抜けた価格設定
まず注目すべきは価格だ。3回目の公募で、売却予定最低価格が4,130万円から「1,900万円」へと引き下げられた。
飯塚市のルールでは、2,000万円以上の市有地売却には議会の承認(議決)が必要となり、1,900万円という数字は、まさに議会の目をすり抜け、担当部署の裁量だけで契約を結べる絶妙なラインとも言える。
3回目の公募は結果的に応募者ゼロに終わったが、この価格設定がその後の伏線になったと考えるのは自然だ。
■ 露骨な条件変更――出来レースの構図
そして、坂平市議が落札することになる4回目の公募で、実施要領が露骨に変更された。まず、①応募者数の要件、3回目までは「5者以上でなければ二次審査に進めない」と定められていたが、4回目では「1者であっても二次審査を行う」と大幅に緩和された。
次に、②実績要件の期間、3回目までは「過去5年以内」の実績が必須だったが、4回目では「過去10年以内」へと、期間がそのまま倍に引き延ばされた。
さらに、③審査の方法、3回目まで必須だった対面での「プレゼンテーション」が、4回目では削除され、合否は書類審査のみで決定されることになったのだ。
対面審査をなくし、実績のハードルを下げ、応募者が1人でも合格できる仕組みを作る。
これは特定の人物を合格させるために敷かれた、出来レースと見られても仕方ないだろう。
こうして舞台は整えられた。
次回は、そのお膳立ての上で行われた「点数操作」の疑惑に迫る。
― 続 く ―

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