緒方貞子先生との思い出

日本人初の国連難民高等弁務官 緒方貞子先生が亡くなってから1ヶ月が過ぎようとしている。
先生と呼ぶのは私が大学の時に教えて頂いたことがあるからだ。

当時私のいた大学には、緒方先生のほか、渡辺昇一先生や鶴見和子先生、ピーター・ミルワード先生など著名な教授の先生が在籍しており、ミーハーな私は積極的に受講の登録をした。

といっても、本来不真面目な私、授業に出たのは1回か2回、ICで管理する現在では考えられないが、何とか半分以上は単位を取得することに成功した。

大学卒業後、今から30年も前の話だが、私がアフリカのザイール共和国(現コンゴ民主共和国)の大使館で働いていた時、緒方先生が外務省派遣で在外公館の視察に来られることになり、2泊3日のフルアテンドを命じられ、張り切ってお迎えすることになった。

空港からホテルへ向かう車の中で、「私は大学で先生の授業を取っていました」と打ち明け、緒方先生も「あら、そうなの」と喜んで下さったところまでは良かったが、その後がいけなかった。
「先生は着物を着て講義されておられましたね?」
急に先生の顔が変わって「それは、鶴見先生です・・・」
気まずい空気になってしまったことを覚えている。

翌日、首都キンシャサの観光地、青空市場「グランマルシェ」にお連れした際、ワニのぶつ切り、猿の燻製、蛇の串焼きなどの刺激が強かったせいか、その日の夜の食事は箸が進まなかったようで、申し訳なく思った。

緒方先生が、国連高等難民弁務官に就任されたのは翌年のこと、その後のご活躍は周知の通り、現場主義と実行力に圧倒された。

世界各地で紛争が続き、難民は溢れ、世界平和には程遠いご時勢、さぞや心痛めておられると思いますが、どうか安らかにお眠りください。



 

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