画家集団・九州派

日本国内はコロナウイルスで生活習慣が大きく変わり、新しい時代の到来が予想されるが、半世紀前の昭和32年7月に福岡市で従来の画風を否定した、新しい芸術家集団である「九州派」が産声をあげたと聞いている。

既存の画家派閥に属さない、新進気鋭の芸術家を目指す菊畑茂久馬氏を始め、桜井孝身氏、オチオサム氏、山内重太郎氏、大黒愛子氏、小幡英資氏、寺田健一郎氏、尾花茂春氏、田部光子氏などが名を連ねていた。

一時代を築いた人達も年には勝てず、一人一人櫛の歯が抜けるように来世に旅立たれ、先日は菊畑茂久馬氏の訃報に接し、九州派のメンバーも次第に寂しくなっている。



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前衛美術集団~九州派オチ・オサム氏

昭和32年に福岡を拠点とする前衛美術家集団「九州派」が、桜井孝身、オチ・オサム、菊畑茂久馬の3人を中心に結成され、活動を開始した。
その創設メンバーの1人だった、オチ・オサム氏が4月26日に79歳で無くなっていたことがわかり、以前同氏は南区桧原に住んでいただけに、懐かしさがよみがえってきた。
戦後も昭和30年代に入るとすべてが落ち着きを見せ始め、新しい考え方も芽生えて女性が強くなり、「九州派」が結成された翌33年には女性代議士が中心となって、売春防止法が4月1日から完全施行され、赤線の灯が消えた。
まだ物は満足にない時代だったが、「九州派」は地方の存在を強く意識し発信する旺盛な意欲から出発した集団で、その意気込みと行動力は今でも語り草になっている。
そのオチ・オサム氏に画商が付いた、今風に言えばメジャーになったという話が飛び込んできたのがバブルの頃で、年間40枚程度の抽象画を描く契約で、当時1000万円を超える金額が支払われたが、後に本人の口から「制作に追われてかなりきつかった」とボヤかれたことを思い出す。
ところで当時のオチ・オサム氏の絵は、30号(90㎝×65㎝)前後で、高くても数十万円、概ね1号当たり1万円の相場だった。
ところが戦後最大の経済事件と言われる、イトマン事件で知られた許永中が引き起こした一連の経済事件の中で、高名な画家の高額な絵画に混じって、なんとオチ・オサム氏の絵が、数百万円の価格で取引されていたことを新聞記事で見て、ビックリするやら感心するやら、懐かしく思い出されるが、あの時の絵は今いったいどこにあるのだろうか。

 
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