福岡県赤村の“赤”の由来は?

福岡県の筑豊に位置する人口2960人の赤村。田川郡に属していますが、唯一炭鉱がなく、昔から農業が盛んな地域です。

赤村とは、「吾勝山(あがつのやま)」と呼ばれた霊峰から来ている説があり、この地に降臨したと伝承が残る吾勝尊(あがつのみこと)が由来です。
現在は岩石山(がんじゃくさん)と呼ばれ、良いトレッキングスポットになっています。

この吾勝山の東部の平野を「吾勝野(あがつの)」と呼ばれていましたが、時の天皇が「長すぎる。北と南とわけて呼ぼう」と言われ、「あが」と「つの」とわかれたと言われています。

「あが」という地名は、日本書紀に書かれており、6世紀前半の安閑天皇が屯倉(みやけ)を置き、守護神として保食神(うけもちのかみ)を奉ったとされています。この「我鹿屯倉(あがみやけ)」が、あったのが赤村とされています。
※屯倉とは、大和朝廷の直轄領として、収穫物をたくわえる地域のこと。

この「我鹿」の名前がついた「我鹿八幡神社」が、油須原駅の南西にあります。

本殿は“赤”村らしく、きれいな朱色をしています。

 


以前は岩石山にあったそうですが、戦国時代に焼失、その後小倉藩主細川忠興(ただおき)公が1615年に遷座しました。

村内に残る木造建築物で古く、18世紀(1700年代)末の建築様式とされ、装飾も非常に豪壮な特徴をもっています。また、9世紀に宇佐から八幡神を勧請したことからか、同じ特徴として建物内部に襖絵が飾られています。歴史的にも文化的にも重要で興味深い神社です。

ちなみに全国の自治体で市町村名に単独で色の名を用いているのは、赤村のみと言われます。

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筑豊の三人義兄弟

昔は周囲に親類縁者がたくさんいて、血族の結束力を武器にした商売などもあったが、逆に「遠くの親類より近くの他人」という言葉があるように、共通の信条や信義を礎にした、血のつながらない義理の兄弟が生まれることもあり、今から数十年前、筑豊で3人の男が義兄弟の契りを結んだ。
年長者は政治の道を選び、また次男と目される男は事業の道を進んで筑豊を代表する土木建設業者となり、三男は筑豊を縄張りとするヤクザ組織を作り上げた。
3人はお互いに協力し、強力なネットワークを北部九州に構築し隆盛を極めたが、諸悪の根源は談合と言われ始めたことで、土木建設業界から談合が姿を消し、さらに福岡県警も暴力団の取り締まりに厳しい姿勢で臨んでいることから、組織の弱体化は避けられない状況になってきた。
3人の義兄弟にはそれぞれ後継者がいるものの、時代の流れには逆らえず、組織を維持するのが精一杯で、政治の世界も警察の目が厳しくなり、先の選挙での違法行為に関して、水面下で内定が始まった噂も聞かれ、摘発される可能性も出て来た。


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