日本人を奴隷売買したバテレン

旧統一教会を巡り、被害者を救済する新法の検討が行われているが、公明は勿論、自民や立憲も 特定の宗教団体と持ちつ持たれつの関係にあり、法律の内容については慎重な構えだ。

安土桃山時代の1587(天正15)年、豊臣秀吉が九州平定後、この福岡・箱崎の地から「バテレン追放令」を発令した。
一見 キリスト教弾圧のように思えるが、この追放令 及び 関連して出された「11ヶ条の覚書」を見ると、相応の理由があったことが分かる。

そこには、「一時的に大名として統治を任せているのに、大名がキリスト教に改宗し、百姓に理不尽なことを命じたり寺社仏閣を破壊している」、「明やポルトガル・スぺイン、朝鮮に日本人を奴隷として海外に連れ出している」、「牛馬を売買し、殺して食している」といったことが書かれている。

また、「南蛮船との交易についてはそのまま継続してよい」、「仏法の妨害をしければ誰でも往来してもよい」、そして「現在の信者(庶民)はそのままキリスト教の信仰を続けてよい」とされている。

為政者が常に 新しい宗教の対応に苦慮してきた歴史があるが、「寺社仏閣の破壊」「日本人の奴隷売買」と なれば、宣教師の追放は当然だろう。
一方で 政治体制を壊さない程度の信教の自由を認めているところが 興味深い。


さて、今回の旧統一教会問題、バテレンの奴隷売買とは異なるが、信者から財産を搾取し海外に送金しており、我が国の国益を損ねている点は共通する。
バテレン追放令並みの措置と言えば 解散命令だろうが、そこまでは難しい模様、今後も想定される宗教団体による被害者救済について、国がどのような制度設計を行うか注目だ。



 

「吉塚」の由来 その1

妙見の交差点から線路の高架下を抜け、100mほど行った右側に小さな神社があります。
鳥居の扁額には「秋葉宮」と書かれています。

社の表には、「明永護神」、中に「正一体 秋葉大明神」と書かれています。静岡県の浜松市にある秋葉山本宮秋葉神社を総本山とし、火の神様「火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)」が祭られていると思われます。

この「かぐつちのかみ」という神様は、イザナギとイザナミの神産み(様々な神を生み出した出来事)で誕生しました。しかし火の神様であったことから生み出したイザナミがやけどを負い、死んでしまいました。怒ったイザナギはかぐつちを殺してしまうという話が残っています。

この秋葉宮のとなりに吉塚の名前の由来となった「吉塚地蔵堂」があります。


「吉塚地蔵堂」の入り口には、吉塚地蔵大菩薩と書かれた石碑が置かれています。
お堂の裏には由来が書かれている看板があります。

筑後の城主、星野吉実(ほしのよしざね)と吉兼兄弟は、九州に侵攻してきた豊臣秀吉の軍勢に抵抗。1586年8月24日、敵将・高橋紹運(たかはししょううん)を四王寺山の岩屋城に追い込み倒しました。今の岩屋城趾近くには高橋紹運のお墓がたっています。
その後、高橋紹運の長男の立花宗茂(たちばなむねしげ)が攻撃を仕掛け落城。星野兄弟は自害しました。
兄弟の武勇をたたえ丁寧に葬ったことから、吉実を祀った塚、吉塚と呼ばれるようになりました。
一人の尼が没後100年に地蔵尊を祭り弔ったことが今の「吉塚地蔵尊」につながりました。
毎年7月下旬には「吉塚地蔵尊祭」が行われています。

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~アルキニストゆうの道~ 筥崎宮あじさいまつりその4

6月のあじさいまつりに合わせて開催している菩提樹まつり。
菩提樹がある恵光院は、1587年、千利休が茶会を開き、豊臣秀吉を招いたとされる寺院です。筥崎宮の社坊である座主坊の末寺。黒田忠之(福岡藩二代藩主)の開基により1624~1644年に建立されました。
明治初期の廃仏毀釈のとき、筥崎宮周辺の格社坊が廃滅する中、恵光院は難を逃れ各社棒にあった仏教関係の品を移して守ったとのこと。筥崎宮社坊の中で唯一残る寺院で当時の神仏習合時代の歴史を知れる場所でもあります。

筥崎宮で開催されている「あじさいまつり」。6月30日まで開催中。
開苑時間:9:30~17:00(期間中は無休)
入苑料 :300円(保護者同伴の場合は、中学生以下無料)
サイト :http://www.hakozakigu.or.jp/news/154.htm

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