見えないものに価値がつく時代

「課金」という言葉をご存知だろうか。

「課金」は昔から使われている言葉だが、最近インターネットでいう「課金」は限定した意味を持つことが多い。
その意味は、ネットゲームにお金を使う事である。
色々なネットゲームがこの世にはあるが、多くのネットゲームはまず無料で楽しむことができる設計になっている。
ネットゲームを進めているうちに、他人とキャラクター比較して自分のキャラクターが弱い、劣っていると感じる時に、ゲームにお金を支払って、アイテムなどを入手する。
これが「課金」である。

実際に見た話でもあるが、この課金をどのくらいしているか?というと、最高で月に60万円という人に出会ったことがある。
さすがにそこまで課金すると、確かにそのゲームでのキャラクターは素晴らしいの一言だった。

しかしその後、その人はそのゲームに飽きてしまい、ゲームを辞めた。
色々聞く機会があったのだが、そのキャラクターの権利をそのまま20万円で売ったのだそうだ。
そこまで金額をかけたものをよく売りに出せるな、とも思ったが、逆に買う人もいるのだ、とも感じた。

ネットゲームのキャラクターは、実際の「モノ」ではない。
触れられるものではなし、物体ではない。実体を伴わないただの「データ」の塊である。
しかし、それに課金をし、さらにそのデータが売れる時代なのである。

日常の企業活動でいえば、ホームページもそれにあたる。
大凡30万円~50万円程度かけて作ったホームページ。
コンピュータで目視していると思うが、それも単なる「データ」である。実は実体を持たない。
ホームページに不随するドメイン。
これも実体を伴わない、インターネット上の単なる住所である。
そのドメインやホームページのありようが、企業情報の一つとして扱われている。
よく考えると、目に見えないものが、実態を持っているかのように扱われている事例は多い。

今、話題になっているビットコイン。
これも元を辿ると、プログラマの中で密かに流行したゲームの中の実体を持たない「アイテム」のようなものだと聞く。
それに価値が付き、様々な過程を経て一般に広がり、現在のような盛り上がりを見せ、実体経済に影響を及ぼしている。

この流れを考えてみると、人間は実体を持っているが、実際はデータの集まりなのかもしれない。
性別が何で、年齢がどのくらいで、どのくらいの年収で、どの企業に勤め….といったデータの単なる集まりのようなものかもしれない。

データで扱われる事が難しいものを逆に考えてみる。
それは例えば「人柄」なのかもしれない。
日常で感じる事がある、「この人だと許せる」「この人だとなんとなくうまくいく」という類のものだ。

時代は揺り動かされ、その反発を繰り返しながら流れ続けている。
今にこうした「人柄」も、完全なデータとなる日が来るのだろうか。
映画のあらすじを聞いているような、複雑な気持ちだ。

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