歴史を未来に繋ぐ。旧荘内藩藩主酒井家墓所を整備して一般公開へ

九州からはあまり馴染みのない東北地方、山形県鶴岡市。

庄内平野で知られるその土地を、1622年から1871年まで約250年間治めたのが、徳川四天王の筆頭といわれた酒井忠次を祖とする酒井家である。

その酒井家第19代後嗣、酒井忠順氏が今年9月に設立した「一般社団法人荘内酒井歴史文化振興会」が、クラウドファンディングで寄付を募っている。

目的は、酒井家歴代藩主が眠る2203坪の広大な墓所を、城下町鶴岡の新たなシンボル、地域住民の誇りとなるような特別な場所にするために、保存・整備を進めるということで、2022年の一般公開を目指している。

荘内酒井歴史文化振興会の試みを後押しして頂ける方は、下記のページに進みご支援をお願いします。
https://readyfor.jp/projects/shonaihan

合わせて、振興会のホームページもご覧下さい。
https://shonaisakai.or.jp/



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酒井家十九代・酒井忠順氏

令和元年10月22日、即位礼正殿の儀が厳かに執り行われ、日本国中が御祝いムードに包まれる中、新天皇陛下から頂いた休日を、改めて自身の自由な生活に感謝しながら一日を過ごす。

そのような中、山形県鶴岡市在住の旧庄内藩酒井家19代目となる、酒井忠順氏のことをふと思い出したが、今頃は雪に閉ざされる冬を目前に、様々な準備に追われている事だろう。

酒井家は元和8年(1622年)に庄内13万8千石を拝領、以後明治維新まで徳川幕府に尽くすも、戊辰戦争では旧幕府軍、明治以後は新政府からの優遇も無く、家臣一同3000人が刀を鍬に持ち替えて並々ならぬ努力で開墾し、養蚕を行い国内最北限の絹産地として発達した。

現在、酒井忠順氏は㈱庄内藩の代表取締役として、特産品や出版物の企画・販売、観光に関する事業を展開、現当主で実父の18代目、酒井忠久氏の後姿を見ながら、そして家庭に帰れば3児のパパに変身し、令和時代の若殿様は郷土の歴史・文化を
大切に思い、新時代を迎えて更に頑張っているだろう。



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株式会社 荘内藩

山形県鶴岡市にあった、旧・荘内藩は徳川四天王の筆頭である酒井忠次氏の嫡流、酒井忠勝氏を藩祖とする譜代名門の家柄、江戸時代に三百の藩があったといわれている中で、薩摩藩島津家や柳川藩立花家とともに、酒井家は現在でも鶴岡市内に居住している、数少ない藩の1つ。

明治とともに武士は刀を捨て、鍬に持ち替え開墾した土地で、桑を植え、養蚕事業を始めたのが松岡物産㈱だったが、このたび第19代目酒井忠順氏は、商号を㈱荘内藩に改め、新規事業に取り組むようだ。

新商号:株式会社 荘内藩
旧商号:松岡物産 株式会社
新住所:山形県鶴岡市上畑町10-28-1302
サンデュエル鶴岡公園
TEL:0235-33-8901
FAX:0235-33-8902


 

酒井家

~庄内藩若き19代目~

 江戸の世が終り、明治、大正、昭和、平成と時代が移り変わる中、旧出羽国、現在の山形県鶴岡市には譜代大名筆頭格だった、酒井家十八代目当主忠久氏が、今でも庄内藩400年の歴史を継承している。

出羽三山で有名な羽黒山の羽黒神社で修行している山伏が、門前で吹く法螺貝とともに始まる酒井家の正月行事が、家庭画報新年号に14ページにわたって掲載されている。

その酒井家で十九代目を継承予定の酒井忠順氏は、昔の古いしきたりを守りながら、新しい試みを模索している若殿様だ。

武士が刀を鍬に持ち替えて開墾した広大な松ヶ岡開墾地では、桑を育て養蚕事業を行っていたが、今はその建物の維持管理やエリアの物産品販売などを行っている。

しかし1年のうち4ヶ月程は積雪で閉じ込められることから、その期間を有効に生かすためのビジネスを模索しており、そのヒントを得るため来福、㈲福岡経営企画が主催する1月14日の新春賀詞交歓会に出席される。

酒井忠順氏に興味をいだかれた方々のご出席を、こころよりお待ちしております。

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