教員汚職事件 大分合同新聞の1面謝罪に思う  [2008年9月16日09:58更新]

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(08年8月号掲載)

大分県の教職員採用試験を巡る贈収賄事件は、地元大学教授や元教育長に加えて、県議会議員や国会議員秘書の名前も浮上し、日を追うごとに関係者が拡大する一方だ。どこで終止符が打たれ事件が終結するのか先が読めず、収拾がつかない状況になっている。

毎年各地で色々な試験が行われている。こうした資格試験などで不正の噂を聞いたことはこれまでほとんどかったが、自治体の職員採用や教職員採用で1次の筆記試験で下駄を履かせた今回の例は、あまりにも異常である。



点数の操作を依頼すれば金品が動くのはある意味当然だ。一連の不正行為は組織的に行われ、常軌を逸した金品が動いている。さらに、教育に絡む話だから始末が悪い。師弟の信頼関係を否定することになりかねず、まじめに頑張る教師や小さな子どもたちに与える悪影響は計り知れない。警察に摘発されても異論を唱える者はいないだろう。

 

ところでこの事件に絡んで大分合同新聞社(大分市)の幹部が自分の子の採用に関して「よろしく頼みます」と市教委幹部に依頼していたことが判明。新聞1面に謝罪を掲載した。社の姿勢は評価したいが、正直、複雑な思いもある。同じ子を持つ親として、あえて言わせていただきたい。

試験関係者と隣り合わせれば「子が受験するのでよろしく」と、挨拶とともに頼むのは自然なことではなかろうか。またその謝礼も5000円相当のお歳暮だったという。新聞社幹部の行為は、日本人の一般的な儀礼の感覚からすれば、全面的に否定されるべきものとは思えない。県警が押収した採用試験の資料では新聞社幹部の子の得点が加えられた―との情報もあったようだ。だが、この段階ではまだ事の真相ははっきりしていなかったのが実状ではなかったか。

事件の最中で発覚した新聞社幹部の行為。報道機関である以上、迅速な対応を取らざるをえなかったのは理解できる。だがこのタイミングでの1面の謝罪は、あまりにも大げさに感じる。幹部の肩を持つわけではないが、新聞社としての体面を保つために1個人が犠牲にされたとすら思えてくる。情状酌量の余地はなかったのだろうか。

 

感謝の気持ちを形に代えるお礼が人脈を形成する際の潤滑油として役に立つ。こうして新しいビジネスチャンスも生まれ、おのずと「福」が舞い込んでくる。過去においてこのサイクルは、日本人の美徳として尊重されてきたはずだ。

こうした類の事件が表沙汰になると、必ず問題とされるのは、犯罪的行為と儀礼的行為の境界線はどこにあるのかという点である。ここからは犯罪―と厳密にに線引きするのは難しいし、かといってすべてを取り締まりの対象にすると、人間関係があまりにぎすぎすした物となるのでは、と危惧してしまう。

今回の事件をきっかけにさまざまな場面での「儀礼のあり方」があらためて問い直されるだろう。だが冷静さを欠き、あれもこれも否定してしまうのはいかがなものか。「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」のことわざがあるように、その反動が怖い。

 (J)