今からさかのぼること40数年前、ある大学の法学部に在籍していた。手形の使用方法もろくに知らないまま手形小切手法などの講義を聴いていた。まあ、いわばごく普通の生徒だったわけであるが、教授が「昼間働いている夜間の生徒は、理解が早く熱心だ」と言っていたのを思い出す。 会社に勤務していれば集金などで小切手や手形を受け取ることもあるわけで、現物に接していれば理解が早いのもある意味当然である。 中小零細企業の代表者の中には、良く理解しないまま手形などを振り出している者がいる。手形を友人に貸したとしても、その友人の手を離れ第三者に渡ると、手形訴訟で争っても勝ち目はない。 言うまでもなく日本は法治国家である。だが、憲法、法律、地方自治体の条例などで国民は守られている―というのは実際は建て前に過ぎず、法律を知らなければ泣きを見ることになる。 例えば商取引などで暴力団などから脅された場合、あるいは詐欺師などから騙された場合、警察に被害届を提出したとしても、そのままスムーズに問題解決へ向かうことは、実際にはレアケースである。「民事不介入」を錦の御旗にする場合が多々あり、「警察は困っている人を救ってくれると信じていたのに、愕然とした」といった声をよく聞く。 詐欺師などの連中は法律に詳しい輩が多く、刑法には触れない紙一重のところで法の網を潜り抜ける術を心得ている。老人など善良な人が騙されても、誰も助けてくれる人は現れず、「自己責任」で処理されて、泣き寝入りするしかないのが現状である。 自治体の中には「暴力団排除」を題目としている所もあるがまさに空念仏。暴力団に脅された場合は他の暴力団に依頼し、「同類同士」で和解を進めたほうが弁護士に頼むより解決が早いのを、市民は知っている。 行政に対する市民の協力が得られないのはまさにこの点にあるのではないか。せめてマスコミ報道による社会的制裁を求めても、人権や個人情報保護法などを、行政側にとって都合の良い様に解釈しているのが現実ではないだろうか。 そうした現実を知らず「法が自分を守ってくれる」と思い込んでいるとバカを見る。 一方、悪さをする連中は法の重要性・ありがたみを重々認識し、日々「努力している」。暴力団の企業舎弟に弁護士が加わるのも時間の問題である。 (J)
法治国家の現実 [2008年6月5日09:20更新]
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