あえて憎まれ役を 沖縄・少女暴行事件に思う [2008年3月26日14:45更新]

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(08年3月号掲載) 

仕事柄、毎朝の日課として西日本、朝日、読売、毎日、日経、赤旗、スポーツ紙を一通り読んでいる。こういう生活ももうずいぶんになるが、ここのところ特ダネや独自の主張が減り、各紙の特徴、紙面の違いが薄らいだように思える。



最近の記者は「特落ち」(自社だけが記事を掲載しないこと)を恐れる風潮からか横並びの意識が強く、他社の紙面と同じことに安心する。事件や不祥事の際、大勢のマスコミが一緒になってこれでもかと当事者を叩きまくる映像に、不愉快な思いをすることがあるのは、私だけではあるまい。

ここは1つ、批判を受けるのは承知の上で「憎まれ役」を買って出たいと思う。

 

最近起こった、米兵による沖縄の少女暴行事件。あってはならない忌まわしい事件として、マスコミ各社は大きく報道した。あらためて基地の存在がクローズアップされ、いつまで経っても犯罪を繰り返す米軍側へ、多くの批判が集まった。

確かに悪いのは米兵であり、暴行という行為を正当化するつもりはまったくない。しかし、冷静になって考えてみると、悪いのは米兵だけと言えるだろうか。

 

古い考え方かもしれないが、2人の子を育てた親として言わせてもらうと、中学生の女の子が夜の繁華街をうろつくという行為が信じられない。少女の家庭・教育環境は詳しくはわからないが、しつけや指導教育の面で、親や教師にまったく非はなかったとは言えないのではないか。

この米兵は海兵隊に所属していた。海兵隊といえば厳しい訓練で知られ、戦場でももっとも厳しい状況下での仕事を担う、いわば「人殺し」という行為と背中あわせにいる連中である。

これまで何度も同様の事件が起き、そのたびに多くの県民が怒り、日米のお偉方が頭を下げた。だが人を傷つけるのが「軍隊の本質」、結局はこうした犯罪行為を根絶することはできないのが現実と考えるべきだ。

 

沖縄では多くの人が米軍基地の存在に反対している一方で、経済的・政治的な理由から、基地を受け入れざるをえないという事情も理解している。だからこそ、深夜の外出は控えたり、米兵の誘いに安易に乗らないよう「自衛策」を教える責任が、親や教師にはあると思う。

さもないと基地がある限り、いずれ新たな被害者が出るだけだろう。

 

最近の大人は「事なかれ主義」で、他人の子どもを叱ることなどまれである。また、教育に情熱を失いサラリーマン化し、管理職や父兄の顔色をうかがう教師が増え、尊敬できる教師は次第に減っているのも事実だ。

そんな中で、厳しいことも言うのが「親の愛」であり、子供の自由を尊重する放任主義は愛がない証ではないかと思っている。

 

このような意見を報じると袋叩きにあう雰囲気を感じ、マスコミも表立っては書けない。そろって一方の当事者だけ叩き、満足している。

言論の自由と言いながら、みんなが同じ方向を向く戦前の軍国主義に逆戻りしたような、怖い気がする。だから今回、あえて書いた次第である。

(J)