先日、炭鉱記録画家・山本作兵衛氏の絵画や日記など計697点がユネスコの「世界記憶遺産」に登録され、地元である田川市をはじめ多くの関係者が喜びに沸いた。
かつて福岡は日本有数の石炭産出県として知られ、県内には大小多数の鉱山があった。筑豊・筑後地方だけでなく、かつては福岡市内(東区の西戸崎や戸区の姪浜、中央区の笹丘など)にも石炭鉱山があり、大いに石炭景気で賑わっていた。
当時は山師と呼ばれる職業があった。石炭の鉱脈を発見しては採掘鉱区を申請し、炭鉱経営者に売るのが生業で、一攫千金を狙って活躍したものである。一山当てれば巨万の富が転がり込む、まさに男冥利に尽きる職業だった。
だが石炭の衰退、炭鉱の閉山に伴い、当然ながら山師も次第に姿を消していったが、その「亡霊」はつい10数年前まで福岡に出没していた。
博多駅から福岡空港に地下鉄が新設される時に、現在の比恵交差点下の工事を受注したゼネコンに、「勝手に人の土地を掘るな」とクレームをつけた男がいた。
この男はここで石炭を掘るつもりだったらしく、監督官庁では鉱区の申請は認められたものの、その後採掘を行なった形跡もない。
過去の税金も支払いがなされておらず、地下鉄工事で出てきたのは泥炭と呼ばれる粗悪なもので、とても売買できる代物ではなく、夢は泡と消えた。当時の炭鉱主子孫が今でも健在で、昔聞いていた栄耀栄華の夢物語が忘れられなかったようだが、神輿に乗ったあげく自ら墓穴を掘ったというわけだ。
原発事故に絡んで今、代替エネルギーが盛んに取りざたされおり、福岡では石炭の新しい利用法も研究されているようだ。福岡、そして石炭が再び脚光を浴びる時代が来ればよいと願うが、まずは汗水を流すことを忘れてはならないだろう。
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再び石炭に光が当たる日 [2011年7月21日10:15更新]
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