昨日 ウクライナからの避難民が政府専用機で日本に到着し、メディアも中継を交え政府の対応を好意的に報じた。
実際に戦火を逃れた人々が来日するのを見ていると、つくづく対岸の火事ではないと気づかされる。
ただ、今回の特例措置に相応の評価がある一方で、従来の難民政策とは雲泥の開きを指摘する声もある。
「避難民」と「難民」、定義が違うという理由かもしれないが、かなり手厚い。
仮定の話だが、アジアの大国が隣国に侵攻し 避難民が出た場合も、政府専用機で日本に連れてきて教育や就労の支援までするのだろうか。
スリランカ人のウィシュマさん事件に象徴されるように、これまで政府がアジア系、中東系、アフリカ系の外国人に対する扱いを思うと、将来の全ての避難民に対して こうした手厚い対応を施すことは想像できない。
政府は今回の対応が避難民に対する前例となることを覚悟しなければならない。
同時に、我が国が取ってきた移民政策にも 影響を及ぼすかもしれない。
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避難民への対応
緒方貞子先生との思い出
日本人初の国連難民高等弁務官 緒方貞子先生が亡くなってから1ヶ月が過ぎようとしている。
先生と呼ぶのは私が大学の時に教えて頂いたことがあるからだ。
当時私のいた大学には、緒方先生のほか、渡辺昇一先生や鶴見和子先生、ピーター・ミルワード先生など著名な教授の先生が在籍しており、ミーハーな私は積極的に受講の登録をした。
といっても、本来不真面目な私、授業に出たのは1回か2回、ICで管理する現在では考えられないが、何とか半分以上は単位を取得することに成功した。
大学卒業後、今から30年も前の話だが、私がアフリカのザイール共和国(現コンゴ民主共和国)の大使館で働いていた時、緒方先生が外務省派遣で在外公館の視察に来られることになり、2泊3日のフルアテンドを命じられ、張り切ってお迎えすることになった。
空港からホテルへ向かう車の中で、「私は大学で先生の授業を取っていました」と打ち明け、緒方先生も「あら、そうなの」と喜んで下さったところまでは良かったが、その後がいけなかった。
「先生は着物を着て講義されておられましたね?」
急に先生の顔が変わって「それは、鶴見先生です・・・」
気まずい空気になってしまったことを覚えている。
翌日、首都キンシャサの観光地、青空市場「グランマルシェ」にお連れした際、ワニのぶつ切り、猿の燻製、蛇の串焼きなどの刺激が強かったせいか、その日の夜の食事は箸が進まなかったようで、申し訳なく思った。
緒方先生が、国連高等難民弁務官に就任されたのは翌年のこと、その後のご活躍は周知の通り、現場主義と実行力に圧倒された。
世界各地で紛争が続き、難民は溢れ、世界平和には程遠いご時勢、さぞや心痛めておられると思いますが、どうか安らかにお眠りください。
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