柳川市立昭代中「親子に贈る講演ライブ」より ヴォーカリスト 杉山裕太郎氏 それでも今はこうして歌を通じて、全国のいろんな方々から自分の体験を話す機会をいただくようになった。 ある夜、親からもらった一言がきっかけで立ち直ることができた。言葉って大切なんだ、って。 言葉で直接伝えるって、当たり前のことのようだけど、今の時代こそ重要なんじゃないか。そんな自分の思いを生徒さんや親御さんに少しでも分かってもらえたら、と思う。 私の父は銀行員でとても教育熱心な家庭だった。テストで百点ならほめられるけど80点だと認めてくれない。自分が描いた絵に親が手を入れて入選したことも。「そんなに勉強ができることが凄いのか」と反発しながら、いい子でないと親から愛してもらえないのでは、といつもビクビクしていた。 小学生の頃はサッカー少年。だけど持病のぜんそくがひどくなり中学1年で部活を辞めた。それまで勉強でもスポーツでも、わりと何でもできた子どもだったので、初めての挫折だった。 忙しい父は家ではいつも厳しい顔をしていた。とても話をできるような状況じゃなかった。その頃、初めてタバコを吸った。全然うまくは感じなかったけど、それからは「悪いヤツが1番」というゆがんだ価値観にどんどん冒されていった。 当時、駅前にヤンキーが100人くらいたむろする場所があって、そこに出入りするようになった。自分を受け止めてくれる存在、居場所がヤンキー集団しかなくなって。タバコはもちろん、鉄工所からシンナーを拝借してはみんなで吸った。 シンナー常習者になると10代、20代でもよぼよぼの老人みたいになる。そんな仲間を見ながら「こんな風にはなりたくない」と思いながらも「親はどうせ分かってはくれない」。非行に走るしかなかった。 17歳で暴走族を立ち上げた後、覚せい剤に手を出して暴力団との付き合いが始まり、密売組織が地元に入ってきて一気に仲間に広がった。21歳の時には勧められて大検(大学入学資格検定)に合格したけど、結局、暴力団や薬物とは手が切れなかった。 日に10回は注射を打ち、幻覚症状で電柱が警察官に見えた。こんなこと止めようと思いながら翌朝にはまたやってしまう、そんな毎日の繰り返しだった。 23歳の、ある夜のこと。暴力団員と遊んで夜中に家へ帰ると父が「いつになったら仕事をするんだ」と言ってきた。「うるせえ、クソじじい」と大声を張り上げた自分に「お前は勉強できるんやから大学に行けばいいやないか。金ならお父さんが出したるし」 それに切れて「まだそんなこと言うんか、勉強なんかできる状態やないんや」と目の前で自分の腕に覚せい剤を注射して見せた。「お前らのせいでこうなったんや」 すると父が突然泣き始めた。「ごめんな、本当に悪かったな、お前がそんなことになっていることに気付いてやれんかった。お前は大切な息子、わしらの誇りや。立ち直れるまで協力するから、頑張って止めような」 父は自分を抱きしめて、2人で1時間、泣き続けた。 あの夜の出来事は、現実を親に見せるしかないという心の底からのSOSだった。そんな自分に父は正面から向き合ってくれた。ずっと愛されていたことにようやく気付いた。それから少しずつだけど、何とか立ち直ることができた。 今の自分があるのは父の言葉、そして「歌手になりたい」という夢を応援し、ありのままを受け止めてくれた家族や友人の支えがあったから。 今の世の中は、携帯電話やパソコンが普及したせいで「家族の絆」が薄くなった。家族同士が会話でなくメールでやり取りするなんていうのは、やっぱりおかしい。 人は1人では生きていけない。愛情や謝罪の気持ちを自分の周りの大切な人に直接言葉で伝え、支え合っていかなければいけない。いい子じゃなくていい、ありのままを受け止めてもらえたお子さんは、必ず自信を持って生きていける。 子どもたちには、本当にやりたい夢に向かって羽ばたいていってほしい。13年前の私のようには絶対にならないでほしいから。 コトバ (作詞 杉山裕太郎) この国は幸せの出し惜しみをしている もっと思ってる事 ストレートに出してみようよ 別に罪じゃないのに勘違いしないで 親子だって 恋人だって 友達だってもっとコトバで理解(わか)りあえばいい 気持ちいいくらい素直なコトバで幸せ与えよう 照れないで愛してるって言わないと 一番大切なものすら見えなくなって 失くしちゃうよ 例え行動で示していても うまく伝わらない 人は与えれば与えるほど豊かになるのに 自ら与える事をしたがらないね 争ったり 冷え切ってる関係だって もっとコトバで理解りあえるはず 気持ちいいくらい素直なコトバで幸せ与えよう それは人だけに与えられたキーワード もっと心のメッセージ コトバに乗せて伝えよう 人はみな惹(ひ)かれ合うもの なのに傷つけてばかり たった一言だけで変わる人生もある 【杉山 裕太郎】<すぎやま・ゆうたろう> HPはこちら ★本紙で再構成しています
(10年12月号掲載)中学生の頃から悪いことは一通りやって、一時は覚せい剤で体も心もぼろぼろになった。
1974年、岐阜県生(36歳) 東京都在住
2004年、朝日大法学部卒 全国で講演ライブを行うほか俳優、DJとしても活躍
発売CDは「BIRTH」(07)、アルバム「SOUL VOICE」(09)
著書に「よみがえれ、魂の歌声」(主婦と生活社)
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