政党に勝者なし 激戦の知事選 その舞台裏 [2007年4月16日09:51更新]

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(07年4月号掲載) 

現職・麻生氏の4選で幕を閉じた福岡県知事選。その舞台裏では、自民党と民主党の党利党略が絡んだ「理念なき代理戦争」も繰り広げられた。若手の党人、稲富氏を擁立して敗れた民主が痛手を負ったのは当然ながら、「県民党」を掲げた麻生氏を後押した自民も「脇役」の悲哀を味わった。「政党に勝者なし」。水面下のエピソードから、選挙戦を振り返る。



招かれざる大物

「あれだけ、表に出てくるなと釘を刺しておいたのに…」。3月31日、福岡市の天神。麻生陣営の関係者は人目をはばからず舌打ちしてみせた。

関係者の視線の先にはマイクを握る自民党の大物国会議員がいた。その大物は「自民党の山崎拓です」と名乗り、麻生氏を「実力も実績もある。引き続きお願いしたい」と持ち上げた。

しかし、関係者の怒りは納まらない。「政党色の払拭に苦心しているのに、なぜ自民党の名前を出すのか」と吐き捨てた。

自民党が推薦する現職が敗れた昨年11月の福岡市長選が「九州ドミノ」の悪夢の始まりだ。1月の宮崎県知事選ではタレント出身のそのまんま東氏が劇的な初当選を果たし、北九州市長選でも麻生太郎外相が陣頭指揮を執り、自・公が全面支援した官僚OBが敗北。自民党県連会長の古賀誠元幹事長が引責辞任した。

自民に吹き荒れる「民意」の逆風。麻生陣営がこの日、太田房江・大阪府知事ら知事仲間の応援を仰いだのも、政党に頼らない「県民党」をアピールするためにほかならなかった。そこに「自主的に駆けつけた」という山崎氏はまさに「招かれざる客」。

だが陣営の冷たい視線などどこ吹く風。「多選批判に苦しむ麻生氏の勝利に貢献した」との実績づくりに専念した。山崎氏は、地盤の福岡2区における勢力退潮がささやかれて久しい。知事選で優位な戦いを進めていた現職との関係アピールは「自らの選挙に有利に働く」―そんな政治家らしい皮算用が見え隠れした場面だった。

「民主の手駒じゃない!」

「おれたちは民主党の手駒じゃない!」。3月中旬、都久志会館(福岡市中央区)の大ホールに、自治労福岡県本部幹部の怒声が響いた。批判の矛先は民主県連幹部。候補を擁立したものの、一向に本気で選挙態勢を整えようとしない党への不満が爆発した。

この選挙戦で、民主の最大の支持団体・連合福岡は「股割き」の苦悩にさいなまれた。民間労組が麻生氏の支援に回る一方、稲富氏を推した自治労には地方組織の足腰が脆弱な民主を「下支えして戦っている」との自負心があった。にもかかわらず、稲富氏事務所に顔を出す党県議らの姿はまばら。福岡・北九州両市長選で勝利を収めたことで、党と労組関係者の間の「断層」が表面化を免れていたにすぎなかった。

そもそも、稲富氏擁立にあたって露骨に抵抗した民主県議は少なくない。「うちは12年にすぎないが、連中は24年も与党の甘い汁を吸ってきた。本音は麻生さんと戦いたくないんだ」。革新系知事の奥田八二県政時代に野党の苦杯をなめた自民県議は、こう皮肉る。

元代議士の“迷文”

「麻生先輩、申し訳ありません」。北九州の元代議士K氏(本紙3月号で既報)。稲富氏を応援する自らの立場について、ブログにこんな釈明文を掲載した。

「麻生渡さんは、私にとって大学の大先輩に当たります。できれば波風は立たせたくないのが心情・・」。党人としての立場を強調しつつ、麻生氏への気遣いがにじむ“迷文”となっている。

当初は「主戦派」の先頭に立っていたK氏だが候補者に稲富氏の名前が浮上した後は一変。表向きは「男として、火中の栗をあえて拾いに飛び込んだ稲富さんを放っておけない」とまで言いながら、「やはり」というべきか、北九州市において稲富氏の得票は伸び悩んだ。

結果は「政党の敗北」

16年ぶりに与野党対決型の本格選挙となった今回の福岡県知事選。だが結果的には、政党色を遠ざけた麻生氏が勝利を収め、党の看板を前面に押し出した稲富氏が苦杯をなめた。

1票に託した有権者の切なる思いの受け皿に、政党はなりえなかった。その意味するところは、「政党の敗北」にほかならない。