ギニアビサウからの手紙 第10回 【上】 [2008年11月1日15:48更新]

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ギニアビサウでの活動を紹介するとき、この方のことを忘れることはできません。上村冨美香さんです。内戦終結後、洋裁・識字教室を再開した翌年(01年)、一緒に現地入りしました。 これまでの参加者の中でも、上村さんには勲章をさし上げたいくらいです。というのも当時74歳とご高齢であり、しかも病気のために左肺と肋骨6本がない状態だったからです(現地で知り、本当にびっくりしました)。




私たち2人はネズミが枕元を走り回る中で寝て、蚊やカエルに悩まされながら、喜びも悲しみも、時には怒りも共有してきました。でもよく自己管理なさっていて、1カ月あまりを無事乗り切ることができました。

ユニセフ、ロータリークラブにも一緒に行きました。支援している里子の家を訪問した時などはぶっ続けで1時間くらい歩きました。炎天下を。私でも「ギブアップ」と言いたいところなのに、上村さんは足取りも軽く歩いていました。そうやって帰宅しても、断水の時は洗面器1杯の水だけで体を拭いて我慢してもらいました。でも文句はおっしゃいません。

上村さんは今回が初めてギニアビサウ入りしたのですが、戦争を経験している人は本当に強いなあと、あらためて感服しました。

 

上村さんはお茶の先生です。それを活かしてギニアビサウのホテルでお茶会を催しました。現地の布で浴衣を作り、市場で豆、砂糖、小麦粉などを買って饅頭を作り・・緋もうせんの代わりにアエロフロート(ロシアの飛行機会社)の機内から失敬した赤い毛布を敷き、上村さんがお手前を披露して下さいました。

お招きした文部大臣、防衛大臣、ユニセフ職員など約30人は、お茶の苦さに顔をしかめながらもお代わりをしていました。内戦が終わったとはいえ私たちが送る日々は緊張の連続、いわば戦争状態が続いているようなもの。そんな毎日の中での、心からホッとできた瞬間でした。

とは言ってもその4つ星ホテルの対応のひどいこと! 借りた部屋に隣接するトイレから水がしみ出して来るのです。カーペットが水を吸い込んで、部屋はびちゃびちゃ。文句を言うと「今日は掃除婦が帰ってしまったからどうしようもないね」

支払いを済ませて帰る時には、別のボーイが私たちを遠くから見付けて「おーい、お金は払ったかい?」ですって。普通ならば「お客様、ありがとうございました」とにこやかに、丁重に言うところでしょう! 一緒にいたポルトガル人のMr.セルジュも、私と同じくらい怒っていました。

<【下】へ続く>

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