<写真特集> 知られざる屋久島【上】 [2008年2月7日10:00更新]

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九州最高峰の宮之浦岳【中央】と翁岳1993年、日本で初めて世界遺産に登録された鹿児島県の屋久島。メディアで取り上げられたほか、近年は環境意識の高まりから「エコツアー」が組まれ、福岡はもちろん、東京など都市部から訪れる人々が急増。人気観光地となったがゆえの新たな問題も起き、地元も頭を悩ませている。

それでもなお、深い森には「縄文杉」だけではない、様々な魅力が溢れている。一般には知られていないルートを歩いて触れた、島の素顔。豊富な写真とともに世界遺産の今をレポートする。
(写真=九州最高峰の宮之浦岳【中央】と翁岳)



 

その登山道は、屋久島の中でもめったに人の通らない、険しいルートだった。

花崗岩が顔を覗かせる急な斜面。いつのまにか体に張り付き血を吸っている、ヒルの多さに閉口する。猛毒を持つマムシもおり「地面に手をつく時は気をつけて」と事前に案内人に注意されていた。

登山口から4時間。樹齢1000年を超える、屋久杉が広がる森に入る。苔むした杉が林立する、静かな空間だった。

年間を通して雨が多く、常に霧に包まれている屋久杉には苔が生え、幹や枝には他の植物が着生している。緑に覆われたこの森も、むせ返るような命の濃密な空気が包んでいた。

"小さな"杉──それでも樹齢数百年はあろうかという巨木の根元にリュックを置き、深呼吸する。森の空気を体いっぱいに入れると、細胞の1つ1つが解放され、背伸びをするかのようだ。

身軽になった私は、今回の案内を引き受け、この森をよく知る地元のMさんに導かれて、さらに森の奥へと分け入った。

 

日本初の世界遺産となった深い森に、多くの人たちは秘境にも似たイメージを抱くだろう。しかし、屋久島に残された手つかずの森は、実はわずかだ。

江戸時代、屋久杉は年貢に定められて本格的な伐採が始まった。人々は倒したその場で小さく切り分け、板状にして背負って運んだ。男も女も100キロ近い荷を担いだという。

近代になり、チェーンソーが導入されると、屋久杉のみならず森全体がそれこそ根こそぎ伐採される「皆伐」が行われた。広大な森の実に約8割に、人の手が入ったと言われている。今となっては信じられないが少し前、1970年代まで、森にはチェーンソーの音が響き渡っていたのだ。

そして─驚いたことに、里から遠く離れたこの森にも、江戸時代の切り株があった。

登山靴もレインウェアも持たない当時の人々は、どんな思いで険しい山道を下ったのだろう。

もはや道と呼べるものはない。私たちは、林立する屋久杉の大木と雑木の中にあった。今まで歩いたルートはすぐに、目の前を覆う緑の中に消えてしまう。

森の中を流れる小さな瀬をいくつか渡った。どれほど歩いただろう。1000年を生きる屋久杉の森では、時間の感覚さえなくなってくる。

突然、「この森で一番大きな屋久杉です」とMさんが言った。藪が切れ、目の前に巨大な屋久杉の姿があった。苔に覆われた幾十本もの根。幹周りは、ゆうに10㍍はあるかと思われた。

見上げると、梢は森を突き抜けていた。そこに光が当たっているのだろう、幹の上部は白く輝いていた。堂々たる巨木だった。

「ここまで来る人は、まずいないでしょう」とMさん。この森を、地図とコンパス、そして独自の嗅覚を頼りに歩き回って、偶然出会った屋久杉だった。

登山客の多いルートにあれば、間違いなく名前がつきガイドブックにも載るだろう。 しかし、Mさんに言わせると「これぐらいの屋久杉なら森の中にまだ多くある」のだそうだ。「遭難する恐れがあるので、誰も行けないですけどね」

人の手が入ってなお、森の深さを伝える光景だった。

<【中】へ続く>

★屋久島とは?