23日深夜、福岡市の高島宗一郎市長は自身のSNSを通じて12月で任期満了となる福岡市長選挙(11月1日告示・同15日投開票)には出馬しないと表明した。
確かに福岡市は高島市長の4期16年間で、約20万人の人口増加、税収も1.6倍に増えたのは事実、当初こそ歴代の市長と全く違う仕事の進め方、スピード感、いきなりのトップダウン指示で多くの職員は戸惑い、自民党市議団との軋轢も生じたが、その後は着実に実績を積み重ね、少しずつ溝も埋まり市政運営が滞りなく進みだした。
5期目に挑戦したとしても、11月で52歳という若さ、市民の支持も厚く100%に近い確率で当選を果たすことが出来るだけに、現時点では次の市長候補より、高島氏がどこに向かうのかが関係者の間で話題となっている。
実際、今年始め頃までは十分に5期目挑戦の路線だったが、どこかのタイミングで不出馬に舵を切ったと思われる。
一部では、その背景に福岡県議会の騒動勃発があり、不出馬の先には県議会の正常化、そして副首都構想に力を発揮するため福岡県知事選挙に舵を切ったのではとの憶測もあった。
だが、福岡市長を5期20年務め上げた後、内閣府参与などの可能性もある中、改めて高島氏が福岡県の立て直しに魅力を感じ、福岡県民のため県知事に挑戦するとは到底思えない。
それよりも気になるのは、高島氏が数年前に再婚し、今年になって可愛い子供が誕生していることである。
毎年参加している博多祇園山笠に、今年は生まれたばかりの子供を連れて来ており、奥様と一緒に写真撮影する姿も見受けられており、その背景には「最後の山笠」だからとの声も。
以前から高島氏の東京志向は強く、故安倍総理との仲を最大限に利用し一兵卒を飛び越えいきなり大臣を狙っていたのは有名な話だが、それは叶わなかった。
現時点で考えられるのは、来年以降は東京に居を移し、テレビ局などのコメンテーターや芸能人との交流で知名度を上げ、令和10年7月の東京都知事を狙っているのでは、と関係者は噂している。

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高島市長・不出馬
博多祇園山笠
博多祇園山笠の運営団体「博多祇園山笠振興会」が今年で発足から70周年を迎え、13日に福岡市内のホテルで記念式典が行われた。
式典には服部誠太郎知事も駆けつけお祝いの言葉を述べる中、関係者など300人が参加し、780年に及ぶ山笠の歴史と先人らへの感謝の言葉が多く聞かれた。
既に6月1日から様々な行事も行われており、福博の街ではこの期間は、結婚式や公式な場でも背広と同等の正装となる長法被を着用した舁き手たちの姿も見られるようになる。
博多祇園山笠は7月1日に開幕し、10日や14日に自流の地域内を舁く流舁や、11日早朝の朝山、夕方に他流舁、12日の追い山ならし、13日は集団山見せ、そして15日4時59分に行われる追山笠でフィナーレを迎える。
今年はまだ梅雨入りしていないが、福博の街では早くも舁き手たちの熱い夏が始まっている。

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「博多祇園山笠」のスケジュール
博多祇園山笠は、毎年7月1日から7月15日まで行われる。フィナーレとなる7月15日の「追い山」に向けて、連日数多くの神事が執り行われる。この行事は曜日は違えども、毎年変わらぬスケジュールで執り行われる。
◎7月1日~14日深夜・・・飾り山一般公開
博多祇園山笠は7月1日から博多部を中心に合計14の飾り山が公開され、絢爛豪華「静の山笠」飾り山の公開で博多祇園山笠は15日間の日程がスタートする。
◎7月1日~9日・・・・・・お汐井(しおい)取り
各流ごとに集合して、「お汐井(しおい)道」と呼ばれる小道をたどって一路箱崎浜を目指す。一部の山笠役員を除き、この日が初めて山舁(か)き姿になる。
◎7月10日・・・・・・・・流舁き(ながれかき)
博多祇園山笠は「静」から「動」へ。この日からいよいよ舁山(かきやま)が走ります。
◎7月11日(早朝)・・・・・朝山
流舁(ながれかき)からわずか12時間後、陽がまだ昇らぬ早朝5時より、博多の街を「おっしょい」の声が響き渡る。
◎7月11日(午後)・・・・・他流舁き
さらに朝山から10時間後、自分の流域外に出て他の流域に舁きいれる。唯一1日に2度舁く日なので舁き手は大変ハード。
◎7月12日・・・・・・・・追い山ならし
「追い山」に向けた予行演習。しかし予行演習と侮るなかれ。時間と距離が本番コースより若干短い以外は本番同様。山の男達は他の流より1秒でも早く駆け抜けようと本気で山笠を舁つぐ。
◎7月13日・・・・・・・・集団山見せ
舁き山が博多部を超えて福岡中心部に渡る唯一の日が13日「集団山見せ」で、その名の通り、7つの流すべての舁山が一堂に介し、福岡市役所前の桟敷席を目指す。
◎7月15日(早朝)・・・・追い山
博多祇園山笠のクライマックス「追い山」は午前4時59分、一番山笠が櫛田入り奉納を皮切りに、合計8つの山笠(上川端通の飾り山を含め)が次々と櫛田入りを行い、まだ薄暗い博多の街をゴール(須崎町問屋街)を目指して駆け出して行く。

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伝統の「博多祇園山笠」がスタート
福岡・博多の街に7月1日から、770余年の伝統の祭り「博多祇園山笠」が始まる。
7月15日の「追い(おい)山」まで、博多の街が「山笠」一色に染まる。
博多山笠の起源は通説あるが、博多山笠振興会によると鎌倉時代の仁治2年(1241年)博多で疫病が流行した際に承天寺の開祖・聖一師(円爾)が町民の担いだ「施餓鬼(せがき)棚」に乗って、祈祷水を撒きながら町を清めて回り、疫病撤退を祈願したことを発祥とする説が有力とされている。
また、博多祇園山笠には「流(ながれ)」というものがあり、豊臣秀吉による天正15年(1587年)の「太閤町割り」が起源と言われる。
秀吉が町割りをするきっかけとなったのは、当時、中国や朝鮮といった大陸貿易の基地として大いに栄えていた博多の支配権をめぐって、様々な諸大名達が博多の町を戦場として戦った結果、博多の町が焼け野原となった。
中でも天正4年(1576年)、島津義久が博多を撤退する際に町に火を放って全市を焼き払い、薩摩に逃走。
これを追いかけた秀吉が島津を降参させて博多に戻り、博多の復興に乗り出し、その手始めが区画整理としての町割りであった。この町割りは東は御笠川、西は博多川を境に、市街を十町(約1キロ)四方と定め、幹線道路を東西に3本、南北に4本走らせ、その一区画を「流(ながれ)」と呼んだ。
この「流」が博多祇園山笠のグル-プ単位の発祥となり、現在は、千代流・恵比寿流・土居流・大黒流・東流・中洲流・西流の七流となる。
また、観光客や見物客用にJR博多駅地区から天神地区まで福岡市内に14の「飾り山」が建てられ、町を歩く人の目を楽しませている。
博多の街は山笠一色に染まり、山笠の舁(か)き手の男衆(おとこしゅう)達は熱く燃える。

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