「問われる後継者」 [2012年3月2日13:11更新]

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戦後焼け野原となった日本を、明治、大正生まれが復興し、その後継者である昭和生まれの世代は企業戦士となって経済大国に発展させた。だが戦後の復興を担った企業代表の大半は、生きるために若くして経済界に飛び込んで行っただけに、高度成長を経て生活が安定してからは、学歴に対するコンプレックスが頭をもたげ、せめて子供は大学に学ばせたいと考え、これを数多くの経営者が実行した。 しかし、大学を卒業し事業を継承した二代目が、先代を超える唯一の資質である学歴にプライドを持つのはいいが、実力が伴っていない点をわきまえていないのが現実で、大学卒のメンツで始めた新ビジネスは、バブルの波に浮かれて失敗した例も多い。

また二代目は、親から引き継いだ資産や財産を失うことを恐れるあまり、目先の難関を乗り越えることを優先しがちで、高利の資金に手を出したり、安易な融通手形取り組みに関わり、体面を繕うことに終始して最後にはすべてを失ったケースを幾つも見て来た。

これが三代目ともなると、二代目が事業を継承してきた時以上に安定した企業が多いだけに、一段と甘やかされて育てられており、後継者としての自覚だけでなく、社会通念上の常識も欠けているのでは、という話をよく聞く。

そうした話の1つにメールがある。この10数年間の携帯電話やパソコンの発達と普及は目覚ましく、音声や画像のやり取りだけでなく、本来ビジネス上のデータ送信に有効なメールが、手軽で高速化している。社会生活の中でも使用される頻度が増えており、世代によっては通話に代わる通信の新たな手段となり、携帯電話のメールアドレスが必須のアイテムになって来た。

だがこのメールがあまりにも手軽になってきたため、日頃の大切な感謝の気持ちや絆が薄れ始めているのも事実で、中にはビジネス上の「お詫び」をメールで済ませる人々も出て来た。相手の顔を見て誠心誠意の気持ちで詫びれば、ミスが軽減されることも考えられる が、一方通行でしかないメールでは相手の怒りを増幅する恐れがあるだけに、けじめや世間一般の常識を忘れてはならないし、またそれを次の世代に教えていくことが重要になってくるだろう。

企業が存続して行く上では、周囲の数多くの企業や関係者の協力が必要で、長年に亘って先輩たちが築いてきた信用や絆が、一瞬の出来事で失われることもある。臆病になる必要はないが新しい試みに挑戦するときは、最新の注意を払いたいものだ。また商いは利益の追求が当然だとは言え、余りにもそれを前面に打ち出すと、嫌われることもあり加減が大切だ。商売人には「損して得取れ」の諺があるくらいで、一時的にはマイナスとなっても、将来の大きなビジネスに繋がることもある、ということを銘記するべきだろう。

福岡市には老舗の名に相応しい有名菓子舗が多く、中には後継者が頑張っている「鈴懸・すずかけ」のような店もあるが、逆に周囲が後継者を案じる声が聞こえ始めた店もいくつかあり、今年は老舗受難の年になりそうで、暖簾を守る大切さを知って欲しい。

(福岡県民新聞 第62号 2012年2月15日 掲載記事 )