福岡県提訴の「突破者」に聞く(3)暴排規制強化は悪循環招くだけ [2010年10月27日13:28更新]

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(10年9月号掲載)

作家・宮崎学氏の著作(左)とそれを原作とするコミック福岡県警は、関係先に送付した要望書(組織犯罪対策課長名)の中で、暴力団関連書籍の撤去を求めた理由として、県暴排条例が新たに制定(4月施行)されたことを機に「青少年の健全育成のための措置を一層推進」するためなどとしている。

宮崎氏  この要望書を見た時は、さすがのワシも目が点になったでぇ。 



今年に入って4月までに福岡県警の警官が4人もパクられておる。そのうち3件がわいせつ事件や。

◎強制わいせつ容疑で小倉南署巡査部長を逮捕(3月12日)

◎強制わいせつ罪で逮捕・起訴された警部を懲戒免職処分(同25日)

◎児童買春容疑で小倉北署巡査部長を逮捕(4月7日) 

こんな状態でこんな文書が書けるとは、さすがは福岡県警や。あんたらだけには「青少年の育成」について語ってほしくなかった。冗談でも何でもなく、福岡県警からこそ青少年を守らんとあかんのちゃうか。

エロ不祥事ばかり起こしている県警の一担当課長から、ワシの本を安直に「有害書籍」にされた上、店頭から撤去される筋合いなどないわ。 

「規制する側」に生じる利権  

県暴排条例制定・施行を契機に、自治体主催のイベントが開催されるなど暴追の気運は一層高まり、同様の条例を制定する動きも愛媛県など各地で出ている。また地元紙をはじめ大手マスコミは「許すな暴力」などとキャンペーンをはり、警察や民間の動きを大きく報じている。

一方、同条例の中身や運用に対して司法関係者の間で批判の声が根強いことは、先月号で報じた通り。こうした見方や意見をマスコミが報じることはない。ただ単にムードに乗って警察情報を垂れ流し、暴排に関する自治体や民間の動きを大きく扱うだけである。

「現在の暴排運動の本質とは何か、規制強化が新たな問題を生じさせる恐れがあるのではないか」などと考えたこともなく、その能力もないのだろう。

 

宮崎氏  暴力団排除をめぐる一連の施策・発想を、ワシは「反社会勢力批判ポピュリズム(大衆迎合主義)」と呼んでおる。

「暴力は良いことか」と問われれば「YES」とはなかなか答えられんでしょ。だが「良い・悪い」はあくまで「評価」であって、暴力や表現を規制することとはまったく別物や。

 

多くの人に知ってほしいのは、この種の規制は「規制する側」に多大な利益、利権を生じさせるということ。例えば、福岡の新条例では一般人・企業側が取り締まりの対象となっておるが、そうなると「用心のために警察OBを雇おうか」となる企業もたくさん出てくるはずや。

つまり、県警は市民を守るためではなく自分らのためにやっている、いわば定年退職後の「就活」という側面があるんやで。 

 

そもそも福岡は、ヤクザを異端として排除する「一神教」が栄えるような土地柄、文化風土なんか? 「花と龍」の火野葦平を生んだ土地やで?

福岡の地域性や歴史的経緯がヤクザを多く生み出す要因となったのははっきりしとる。県警も暴力団対策法が施行される1990年代の前まではヤクザと持ちつ持たれつやった。 

規制を強化すればするほどヤクザは地下に潜りマフィア化する。これは歴史が証明しておる。そうなれば凶悪事件の摘発がさらに難しくなる。捜査当局は市民やマスコミの批判を恐れてパフォーマンスでヤクザを叩き、ヤクザはさらに反発する─。

こうした悪循環に、今や完全にはまり込んでしまっとる。こんなんで大丈夫なんか、福岡県警は? 他人事ながら心配やでぇ。 

 

最近、中国共産党の関係者と今回の件について話をしたんや。そしたら「日本はすごい社会主義国家ですね」と驚いとったわ。「中国でもこんなことは出来ない」って。
ホンマかいな(笑)。
 

作家の宮崎学氏宮崎 学 <みやざき・まなぶ> 
1945年、京都・伏見のヤクザ、寺村組組長の父と博徒の娘である母の間に生まれる
早稲田大学中退後、週刊誌記者などを経て家業の解体業を継ぐが倒産
グリコ・森永事件では「キツネ目の男」に似た重要参考人Mとして警察にマークされる
1996年、自身の半生を綴った「突破者」(南風社)で作家デビュー。警察の腐敗追及やアウトローの世界を主なテーマに執筆活動を続ける
主な著書に「近代やくざ肯定論」(筑摩書房)、「警察の闇 愛知県警の罪」(アスコム)、「『暴力団壊滅』論 ヤクザ排除社会の行方」(猪野健治氏との共著、筑摩書房)など
2005年には英語版「TOPPA MONO」も翻訳出版されている