自然と歴史のまち〝小郡〟 – 地域の共同墓地が霊園に 地元には異論も [2012年4月13日12:10更新]

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福岡県南部に位置する小郡市は、肥沃な筑紫平野の中央部で、北部九州のヘソともいうべき場所。市内には南北に国道3号線、東西に国道500号線が走り、国道3号線に平行して九州自動車道、東西に大分自動車道が伸びる。さらに西鉄天神大牟田線や甘木鉄道も走るなど交通の要衝だ。そうした事情は古代も同じ。太宰府に近く、博多に通じる交通の要衝であったことから、同市の中心部には当時の役所跡、小郡官衙(かんが)遺跡(国指定史跡)が残されている。そして同市井上地区には小郡官衙と密接な関係を持つと思われるいくつかの伽藍を持つ大寺があったと推定され、同地区の井上公民館前には「井上廃寺」の碑も建っている。そんな歴史豊かな井上地区を歩いていると、穏やかな田園風景の中に、ぽっかりと百基あまりの真新しい墓石の並ぶ霊園墓地が現れ、興味をそそられた。

霊園に隣接して寺院があった。憶想寺(おくそうじ)という。この憶想寺は小郡市埋蔵文化財調査センターのホームページの説明によると、井上廃寺の南大門があったあたりだという。由緒ある寺院のようだ。霊園はこの同寺の経営になるものかと思ったが、本殿入り口には「霊園拡張反対」の看板が置かれている。どうも違うらしい。

霊園経営者は唐津市の宗教法人

近隣の人に聞いてみると、霊園のある場所は古くから同地区の共同墓地として使われていた。今から10年あまり前の2000年ごろ、墓地が荒れ果て、維持管理が大変になったということで、墓地を利用していた人たちの代表が、佐賀県唐津市の宗教法人の寺院に売却することを決め、その一部が霊園として売り出されたのだという。
霊園経営は国(厚生労働省)の「墓地経営・管理等の指針」によって、宗教法人ないしは公益法人などに限られ、一般企業が行うことは禁じられている。ただ、宗教法人の委託を受けて墓石販売会社などが経営を行う例は、一般によく見られる。しかし、宗教法人の名義貸しではないかと紛争になるケースもある。
この霊園の場合は、前述の共同墓地利用者の代表が霊園開発を手がける墓石販売会社のつてで唐津市の宗教法人に売却することになったのだという。当初は隣接する憶想寺に依頼したのだが、断られたともいわれる。
自治体によっては、墓地等の経営許可に関する条例を定めているところもあり、たとえば茨城県竜ヶ崎市の条例の場合、むやみな霊園開発を抑制するために「当該墓地が当該宗教法人の宗教活動上必要不可欠であること」「市内に市民の墓地需要を充足する既存の墓地がなく、当該墓地の必要性が客観的に十分存在していること」などを規定している。小郡市の場合は条例は制定されておらず、もちろんそうした規定は存在しない。

霊園の拡張に反対の署名も

ところで、共同墓地は奥行き20数m、幅200mあまりの少しいびつな長方形で、面積は全体で約4500㎡。墓地利用者によれば、ここに60戸近くの家の900体あまりが長年にわたって埋葬されてきたという。
前述した00年にはこの全部の土地の売却を約束する約定書が結ばれたが、その時実際に売却されたのは、その一部南側の1500㎡あまりだったという。だが、その後は具体的な売却には至らず、10年後の一昨年になって再び売却の動きが始まったという。
実は、第1次売却のあと、地元から「霊園拡張反対」の声があがり、02年から05年にかけて集められた3400名あまりの反対署名が小郡市長と同市議会議長に提出されたという。空白期間はこの影響だろうといわれている。
古くからの共同墓地利用者の中からも異論が上がっていた。「そもそも共同墓地を売るなどという話は聞いていない。一部の人が隠れてやったことだ」というのだ。ただ、10年あまり前の話なので、水掛け論になる恐れはある。
そこで、前回は墓地利用者の代表者が代表して土地の払下げを受けて売却するという形だったが、今回は井上地区が地縁団体として法人格を取得し、共同墓地中央部の約1500㎡を霊園経営者に売却したとされる。
現地を確認すると、共同墓地の一部が掘り返され、古くからの墓石が一箇所に集められている。
墓地の改葬は自治体の改葬許可を取り、僧侶から供養してもらう(魂抜き)などかなり面倒な仕事だが、死者を丁重に弔うためには欠かせない。
新しい墓石が立つ霊園も古くからの遺骨が埋まっていた土地。そうした儀礼は行われたのだろうか。現地を見る限り、そうした丁重な扱いは感じられず、ちょっと心配になる。
共同墓地を立派な霊園に改葬するという今回の件、本当に関係者の総意を集めたものならば、埋葬された先祖の霊も浮かばれるだろうが、果たして…。

福岡県民新聞第63号 2012年3月15日号 掲載