放下着(ほうげじゃく)という生き方 – 『何もかも捨てた時に悟りが得られる』 [2012年4月13日12:20更新]

タグで検索→ |

noimage


医学博士
(財)福岡労働衛生研究所 相談役 原口幸昭さん(80歳)

如何に生きたかという質

「最近、どうも臍の周りが重たいと感じて、CTを撮ったら膵臓がんが見つかりました。あまり大きくないのですが、一部が血管を巻いた形になっていて、リンパ腺もありますので手術ではなく、抗がん剤による治療を始めたところです」
そう淡々とした表情で自分の病状を話す原口さんは現在80歳。今でも財団法人福岡労働衛生研究所で週3日勤務している消化器外科専門の医学博士だ。
これまで胃がんだけでも2000人以上の治療をしていて、原口さん自身も10年前に前立腺がんで前立腺を全摘出している。これまでがんと向き合ってきた経験から、今回見つかったがんも「病気のなかのひとつ」だと冷静に認識しているという。
がんが「死の病」だったのは昔の話だ。今はがん治療の技術、そして何よりがん発見の技術の進歩により、日本人に一番多い胃がんでも早期発見できれば生存率は90パーセント以上にまで高まっている。
原口さんが勤める福岡労働衛生研究所は、労働安全衛生法に定める定期健康診断、特殊健康診断をする健康診断専門機関で、最新鋭の各種診断機器を常備し、精度の高い診断が可能だ。
「がんとは人間の細胞の一部が変になっているだけという話です。早期発見ができるようになって、患者さんもそういった捉え方ができるような時代になりつつあります。さらに言えば、ある程度進行していたとしてもがんと仲良くしていけるようになればいいと思います」。
僅か数10年でがんに対する患者の意識は変わった。その一方で、医術が進んで来たからこそ、昔なら早くに亡くなっても「それが寿命」とされていたものが、病気として扱われるようになってきた。本人にとってそれが幸せなことかは分からないが、病気と付き合いながらも生きていける人が増えてきたのは事実だ。
「私は治療を始めたところですが、がん細胞と付き合って、この先どこまで日常生活動作ができるか。人の人生は長く生きることが重要ではなく、如何に生きたかという『質』が大切だと思っています」。

五感を研ぎ澄ます

修猷館高等学校を卒業後、九州大学に進学。教養学部で2年間を過ごし、医学部の試験を受けた。医学部に入るとその後の進路を決める出来事が起こった。大学5年生の時に父親が胃がんになったのだ。「手術をしましたが、手遅れだったようです。最期の頃には学生ながら先生について注射をしたりしていました」。
その経験は原口さんを消化器系の研究に向かわせ、がんの転移の仕組みに関する研究で博士号を取得している。卒業後は九州大学病院の第2外科(消化器外科)に入り研究を続け、その後、消化器外科の専門医として方々の病院で勤務した。
外科医には「手先が器用でなければならない」というイメージがあるが、原口さんは「器用さというより、ものの考え方が大事」だと話す。どう治療するかという考えが手に繋がり、テクニックになる。手先の器用さも必要かもしれないが、まず先にあるのはベストな治療法がどういったものかを考えることだという考えからだ。「よく言われる『神の手』もそういったもので、自分の考えが本能化して、手先に伝わることだと思います。これは全ての職業に通じることではないでしょうか」。
70歳まで福岡市の早良病院で副院長を務め、福岡労働衛生研究所で勤務し始めたのは10年前のことだ。  原口さんには50年来の趣味がある。山女魚釣りだ。日本全国を山女魚釣りで巡っていて、今は専ら宮崎の五ヶ瀬に通っているという。「釣りも含め自然と医術には共通する求めるものがある気がします。子どもの頃は近くの川で魚を手づかみで獲ったりして自然のなかで育ちました。自然の中で得た感覚が今に役立っていると思います」。
例えば、魚を手づかみで捕まえた感覚は、見えないところを想像してビジュアル化するという感覚で、触診に通じるところがあるという。医者には視診、触診、問診で、ある程度のことを判断できる能力が必要だ。極端に言えば、診察室に入ってきた様子だけでも、歩き方や顔色を見て患者のことがわからなければならない。
「私はそういったことを大切にしてきました。それはたくさんの患者さんを診るための能力にも通じます。医学の世界も人との触れ合いが少なくなってきていますが、医者が機械に頼り過ぎている現状があります」。
医者としての勘、人間としての勘を鍛えるには自然の中に身を置くことで、五感を研ぎ澄ますことができる。少なくとも原口さんにとっては山女魚釣りがそういった場になっているのだろう。
原口さんの座右の銘である、放下着(ほうげじゃく)は『何もかも捨てた時に悟りが得られる』という禅の言葉だ。与えられた生を目一杯生きる。そのためには、何もかも捨てる覚悟と悟りが必要だ。傘寿を迎えた原口さんは今でもなお何かを勉強しようというその姿勢、それは放下着という境地を追い求める姿に映る。

福岡県民新聞第63号 2012年3月15日号 掲載