地方紙元記者の反乱 [2012年6月14日18:45更新]

タグで検索→ |

noimage

地方における地元経済界のリーダーは、江戸時代の殿様のような存在で逆らうことが出来ない。地域で催される行事やイベントでは、限られたリーダー格の企業だけが運営資金を供出しているからだが、それらの企業が共存共栄を図っているというわけではないものの、仲間意識が生まれてくるのも無理はない。地方自治体などが、地元リーダー企業と一体になって推し進める地域開発では、一般企業が参画を拒否することはほぼ不可能に近く、運命共同体に組み込まれてしまう。

これで本来、地元経済界リーダーの意に反してでも、真実を伝えるべき役割を持つ地元紙が、マスコミ本来の使命を逸脱していることに気づいたとしても、修正することが難しいのは充分に理解出来る。だが地元マスコミにおいては、購読料収入が減少し続け、広告料収入が経営の根幹を占めて来ているだけに、長いものには巻かれろ式の考えがどうしても経営陣の主流を占めるようになる。

その一例が熊本で発刊された「小説・火ノ国銀行」で、地元書店ではベストセラーになったが、地元紙は一顧だにせず記事として取り上げなかった。それが飛び火したわけではないだろうが、北海道では熊本と逆の現象が発生し、地元で話題となっているようだ。

話題となっているのは、北海道警察の裏金問題を取材した北海道新聞の元記者が執筆した本、「真実・新聞が警察に跪いた日」(柏書房)。題名からも理解できるように、元記者の取材に対し北海道警察が強大な権力をバックに露骨な圧力を掛けたため、北海道新聞社幹部が屈服した内容だ。更に面白いのは、この本の内容を知りながら北海道新聞広告部が、自社の新聞に本の宣伝広告を掲載したことである。新聞社幹部が激怒したと伝えられるが、後の祭りだったようだ。北海道新聞社広告部には侍がいたと、拍手喝采を送りたい心境である。

昔の新聞記者は「無冠の帝王」と呼ばれ、強い権力に対しては徹底して反抗し抵抗したものだが、最近の若い記者はサラリーマン根性にむしばまれているのか、会見側の発表を鵜呑みにして裏付けの取材もせずに、会見側に都合の良いリークされた内容を盲信し垂れ流すだけで、かつての先輩たちが持っていた記者魂は消え失せたかのようだ。

「小説・火ノ国銀行」は真実を描写していたから、全国的なベストセラーになったのであって、これを無視するような地元紙の対応は実にお粗末といえるだろう。インターネットで真実が報じられ、ドラマ化されテレビで放映されるようなことにでもなれば、熊本県民も真実を知ることになる。そうすれば賢い読者は一段と地元紙から離れていき、ネットに押されて発行部数が減少している中だけに、ただでさえ苦しい経営に拍車がかかる可能性は否定できない。気骨を持った記者が現れることを期待したいものだ。