【今昔物語】 – 法律を逆手にとって [2012年6月14日18:47更新]

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昨年3月オープンしたJR博多シティは博多駅の第四代目駅ビルだ。今は昔、かつての博多駅は現地下鉄祇園駅付近にあった。手狭になったため現在地に移転し昭和38年12月開業したもので、その当時は、まだ博多駅周辺は田畑など空き地が多かったが、区画整理の後に新しい建物が次々に建築されていた。

そのような今から50年近く前の博多駅南には、鉄鋼加工の小さな鉄工所が幾つかあり、そのうちの1社であるK鉄工所は、隣接する工場からの出火で延焼し工場生産がストップ、資金繰りが一挙に悪化してしまった。K社の社長と友人だった消防署長が、善意で全焼証明を出してくれたまでは良かったのだが、焼けた建物にはK社のメイン銀行である、N相互銀行比恵支店が担保を設定しており、そして火災保険には同支店が質権を設定していた。結果、保険金が全額N行に持っていかれたのは言うまでもなく、最終的にK社は倒産した。

当時、N行には債権回収のベテランで、暴力団やその筋の人々から先生と呼ばれるほどの人物、F常務が在籍していた。またN行の支店長の中にはF常務に個人的なスキャンダルの後始末を依頼し、頭が上がらなくなった支店長も少なからずいた。

さらに比恵支店にはK社の取引先も多く、それらの企業がK社のかなりの金額の手形を割り引いていたため、K社から債権の完全回収を目論んだF常務は、面倒を見たことのある比恵支店長に、自分が債権回収を代行する旨を伝え、他行で割り引いていた手形や手持手形を集め始めた。建物の担保を生かして土地を安価で取得し、売却することで債権を回収する方法を考えていたようである。

一方、焼け落ちたK社の工場は使用不能でも、建物の骨組みである鉄骨は残っていたため、裁判にでもなれば全焼証明を発行した消防署長の責任問題に発展することが目に見えていた。そこでK社の後始末をしていた社員数名で、署長を助けるだけでなく、F常務にひと泡吹かせる策を練ったのだ。

まずアセチレンガスを購入。そしてN行が博多駅前の新しい本店に移転する、5月の連休期間中に計画を行動に移し鉄骨の溶断作業は完了した。ゴールデンウィークが終わってF常務が出社、債権回収に着手しようとした時には、既に担保を設定していた建物は跡形もなく消え、工場敷地には鉄骨の基礎だけが残っていた。F常務の債権回収計画はものの見事に根底から崩れて失敗、地団太踏んで悔しがった噂が伝わって来た。その後、この解体計画を練り上げた人物の1人は暴力団に入り、持ち前の知恵で頭角を現し、トップの座に上り詰めたとの話を風の便りに聞いたことがある。

F常務はN行内部の確執に敗れ、銀行からはじき出されたが、実力者だっただけに、今でもN行OBの間で語り草になっているエピソードがある。

社長として乗り込んだ飲料会社を瞬く間に建材商社に転換させ、数年後にはN行からの融資を利用して建設業界に進出、年商数十億円の企業に変身させたのである。