【人生いろいろ】 – 三光園 二代目女将宮本佳代さん(72歳) [2012年6月14日18:50更新]

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80年を超える老舗料亭の看板
父親譲りの商売人魂で博多の料亭文化を盛り上げる
三光園 二代目女将宮本佳代さん(72歳)

あぐらをかかず

福岡市中央区清川にある昭和元年創業の「三光園」は博多を代表する料亭だ。600坪以上の敷地に築65年以上という数寄屋造りの建物と庭園を備え、純和風の雰囲気の中で天然ものにこだわった料理と四季の移ろいを味わうことが出来る。また料亭には敷居が高いイメージがあるがコース料理が6500円から用意されており、お酒を飲んでも1人1万円程で利用できる。全18部屋で2階には大広間があり、2名から200名まで対応。近頃では結婚式や法事での利用が増えているという。

二代目女将の宮本佳代さんは「いくら老舗といってもあぐらをかいてはいけません。『老舗』や『文化』というだけでは商売はできません」と話す。

創業者である父・一郎さんは明治生まれで、尋常高等小学校を出て直ぐに鶏屋に丁稚奉公に出た。事務職をしていた母・イツノさんと結婚すると、昭和元年、千代町で1階が鶏屋、2階が水炊き屋という店を始めた。これが三光園の始まりだ。

千代町から清川に店を移してきたのは宮本さんが生まれた昭和15年。病院だった建物を改築し、「料亭 宮本」は誕生するが、戦争で全て焼けてしまう。そして、それまでの「宮本」から「三光園」に変わったのは、戦争で満州に行っていた一郎さんが帰ってきて、焼け野原になった博多で再興しようとした戦後のことだ。三光園と名付けたのは、中国の三天光=太陽・月・星からだという。

三光園の建物は現在ではあまり見ることの出来なくなった本格的な木造建築で、木の中に居る温もりがあり、庭が見えて、畳があることで落ち着く雰囲気がある。当時も今も珍しい「松の廊下」など年月が経った本物の木材は飴色になり、シミが付いても嫌味ではない風情を感じさせる。増改築やリニューアルを繰り返してきてはいるが、本柱や天井はそのまま。2階には130畳の大広間があるが、その下の部屋には見た目では分からないように補強の柱を入れて、歴史ある建物の風合いを出しながら建物を長持ちさせ、活用できるように工夫している。

「娘の私が言うのも何ですが、父は商売の勘所がよかったのだと思います」。歴史ある建物と同様、大切にしてきたのが創業者である父・一郎さんの商売の考え方だ。支店を出しては幹が細くなる、ブームになっては早く潰れてしまう。商売とはコツコツと汗水たらして築くもので、決してブームになるような商売をしてはいけない。何年もかけて築いたものはそう簡単には潰れはしない。「父は 『三光園以外の店をすることはまかりならん』『人と同じように寝ていたら、同じレベルにしかならない。寝ているときも働け』と常々言っていました」。

経営はそろばんの得意な母・イツノさん。一郎さんは商売人としてだけ生きた。料理長に任せた調理場には入ったこともなく、宮本さんも「女が入るところではない」と言われてきたこともあり、調理場には足を踏み入れないという。