[ 注目の記事 ] 福岡市議を強制送還 [2012年8月17日17:50更新]

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福岡市は古くから大陸と往来があり、お茶やうどん、饅頭など伝来の地として有名で、博多区のお寺に石碑がある。当然、人の交流とともに素晴らしい文化も流入、それらを基礎に日本独自の文化が生まれた。だが現在の日本は、インフラ整備など技術面では中国よりも一歩前を進んでいると言っていいだろう。そうした中で、高島宗一郎福岡市長が中国の公務員研修生を、年間800人規模で受け入れると記者会見で発表、知らされていなかった市議会や市役所内部が揺れている。 ここで思い出されるのが1996年に起きた事件だ。79年に福岡市は広州市と双方対等の立場を強調した友好都市となり、その後大勢の人が相互に訪問し友好を深めた。95年には広州市長を団長とする訪問団が福岡市を訪れ、博多区のホテルで講演、和やかに懇親会も開かれた。そこで翌96年には当時の福岡市議会議長を団長に、7名の市議会議員が超党派で福岡市議会広州友好訪問団を結成、広州市へ親善の為に飛び立った。

ところが広州市空港に到着したにも関わらず、VIP待合室で1時間強も待たされた挙句、団長が別室に呼ばれた。誰と面会したのか定かでないが戻ってくるなり、団員のA議員は入国を控えるよう、広州市から要請されたことを告げられた。直後、本人には北京の日本大使館一等書記官から連絡があり、A議員の入国を中国政府が拒否したと伝えられた。
A議員は直ちに友好訪問団から切り離され、通訳を兼ねた随行員の監視の下にホテルへ直行となった。夜中に目が覚めふと見ると、閉めたはずのドアは開かれ、外の廊下には監視員が5名いたという。翌朝、日本行きの最初の飛行機に搭乗させられ、議員がシートベルトを締めたのを見届けた随行員は飛行機を降り、関西空港に着いたところで強制送還劇は終わった。しかしA議員がなぜ入国を拒否されたのか、その理由は誰からも明らかにされなかった。

福岡に帰り市議会で質問を行なう旨を所属会派に伝えると、当時の福岡市日中友好協会代表の、故石村一明議員から面会申し入れがあり、代表質問中止要請を受けた。また中国領事館から上層部関係者が謝罪に訪れたそうだ。この件は福岡市が国際問題に発展することを恐れたのか、関係者にかん口令が敷かれマスコミ報道は一切無かった。ベテラン議員に尋ねても知らない人が多く、市議会事務局で当時の記録を見ても、この件については何も残ってない。

福岡市を代表し友好都市を訪れた市議団の一員に、入国を拒否し強制送還した中国の態度は、もう一度検証すべきだろう。既に高島市長が中国を訪問し、関係局と覚書に署名しており、今さら覆すことは出来ない。しかし、万が一問題が生じたときに備え、高島市長と市幹部は対応を考えておかなければならない。