【九州・街づくり事情】鹿児島 ドルフィンポート(上)  [2007年8月15日13:58更新]

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(07年8月号掲載) 

2011年に迫った九州新幹線の全線開通。「人や金を福岡に吸い上げられる傾向がさらに強まるのではないか」。九州内の各自治体が抱える危機感は尋常ではない。

さらに相次ぐ郊外型商業施設の進出も、人の流れを変え街の中心部を空洞化させるなど、大きな脅威となっている。

自治体としての「生き残り」を賭け、いかに地元の魅力をアピールするか、街を活性化させるか―。様々な取り組みが行われる中、今回は新幹線の終点に当たる鹿児島の例を取り上げる。



 

錦江湾を臨む海岸沿いに緑の芝生が広がる鹿児島市の本港区。岸壁には離島便のフェリーが発着し、その向こうには桜島が迫る。市内一の繁華街・天文館からは徒歩10数分ほどだ。

この絶好の場所に、商業施設「ドルフィンポート」(写真上)はある。約300㍍にわたって続く三角屋根の建物。みやげ物店のほかはほとんどが飲食関係の店舗だ。ボードウォーク、清涼感を演出する水辺もある。

ドルフィンポートが本港区ウォーターフロント開発の目玉としてオープンしたのは05年4月。市中心部活性化の起爆剤として期待されるが、ここにいたるまでの道程は平坦ではなかった。

時代は変わった

鹿児島県による港湾計画に基づき本港区の埋め立てが始まったのは1986年。埋立地と周辺地域を併せた計約45㌶を再開発する「ウォーターフロント開発基本計画」も策定され、水族館の建設やフェリーターミナルの整備のほか、ホテルや商業施設の誘致・建設も具体的に盛り込まれた壮大なものだった。

ところが95年、それまで描いていた構想を保留し具体化を先送り。埋め立て完成を目前にして計画は大きく後退した。背景には経済の悪化で、民間企業の進出が当初の見込み通りには望めなくなったことがある。

埋立地は97年に完成。それまでに出来上がっていた部分には当初の計画通り水族館などが建設されたが、メインともいえる本港区の中央ゾーンは暫定的に駐車場・芝生広場として活用され、いわば宙に浮いた形となっていた。

不透明な決定過程

このまま放っておくわけにはいかない県と鹿児島市などは03年、中央ゾーンの一部を「定期借地方式」による開発をおこなうためコンペを実施、民間から広く利用案を募った。その結果、地元百貨店の山形屋などが提案した複合商業施設案が採用され「一件落着」した。

「この選考過程は非常に不透明なものでした」。こう語るのは地元メディア関係者。選考委員会のメンバーに決定案を出した企業の関係者が含まれていたからだ。

「コンペには全国で郊外型商業施設を展開するA社も参加していた。しかし『落とされた理由や過程が不明。提訴も辞さない』との話もあったくらいです」(前出メディア関係者)。選考の間、「結果は最初から決まっているのではないか」との声がつきまとった。

「塩漬け」が狙い?

自治体による埋め立て工事の推進、時代の変化、計画の後退・迷走―こう並べると、まるで福岡市の人工島をめぐる経緯にそっくりだ。だが現在も見直し作業中の福岡と違い、鹿児島市は「不透明」と批判されながらも外部の資本を排除し、地元優先の道を選んだ。

「こんな一等地に大型商業施設が出来たら、天文館など中心部の客を奪われるのは必至。いわば政治的判断、外敵排除以外の何物でもない」と話すのは別のメディア関係者だ。

「ドルフィンポートはほとんどが飲食店です。これは山形屋など既存の百貨店や天文館の商店群と競合させないため。定期借地の期限が切れるまで土地を塩漬けにし、経済の状態が上向くなど状況が変化してから、あらためてエリアの一体的な開発を目指したいのです」。つまり、ドルフィンポートは外部の資本を排除するための「防波堤」というわけだ。

「新幹線の全線開通も近いし、何としても地元経済界を守りたい。そういった気持ちの裏返しなのでしょうが・・」(同)。

《下》へ続く