大任町から出た大量の残土

今月に入り、地元紙が 福岡都市圏の盛土に関するニュースを報じているが、その背景には熱海の盛土流出で甚大な被害が出たことがある。
ところで、英彦山で知られる添田町の山林にある「残土処理場」の盛土についても、地元から不安の声が出ている。

同処理場は、平成15年に大任町の建設業者が林地開発の許可を取っており法的な問題はない。
ただ現地を確認したところ、 確かに土砂が かなり高く積み上げられていた。
県によると昨年の調査では問題がなかったということだが、ここ数年で大任町の土木工事で出た残土が 相当量運び込まれ、形状が変わったという話もある。

県は、今月半ばに現地調査を実施し、防災面と計画内に収まっているか確認を行う予定、基準を満たしていない場合は 改善の指導があるという。
これから梅雨に入り、夏場は豪雨も想定される中、住民は安心できる報告を期待している。

英彦山

先日久しぶりに、田川郡添田町と大分県中津市の県境に位置する、英彦山を訪れた。
英彦山は、釈迦岳や御前岳(権現岳とも呼ぶ)に次ぐ、標高1,199メートルで、福岡県内で3番目に高い山である。
昔は修験者の山として、山伏達が修行のため、登った山であるが、現在は登山ルートも確立され、正月の初日の出を見るなど、多くの人が訪れる山である。
旧英彦山小学校跡地に土産店や資料館等の他に、スロープカー乗り場を併設、出発地の「幸駅」から英彦山神社がある(同神社は現在改修工事中だが、参拝は可能)「神駅」まで行くことが出来る。
そこからは長い階段や山道を登り、山頂で御社に手を合わせることが出来る。
下山した後は、御社や神社参拝の御利益なのか不明だが、心が洗われ清々しい気持ちで山を降りた。
これから紅葉の季節になり、沢山の登山者が訪れるだろう。



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~アルキニストゆうの道~ 第5回 英彦山と山岳信仰

山頂に近くなってきて平地に「産霊神社(むすびじんじゃ)」が見えました。
御祭神は「高皇産霊神(たかみむすびのかみ)」。
「高皇産霊神」には6人の子どもがいました。
そのうちの1人の娘が、天照大神の息子「天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)」と結婚し「天火明命(あめのほあかり)」「饒速日命(にぎはやひのみこと)」「邇邇芸命(ににぎのみこと)」らを産みました。
そして英彦山の伝承には、「高皇産霊神」が義理の息子の「天忍穂耳命」に譲ったと伝えられています。

産霊神社を右手に石段を登ると、視界が開け空が広がります。
荒涼とした風景が広がるもどこか厳かな空気が感じられました。
そして英彦山神宮の上宮(上津宮)に到着します。
現在は「天忍穂耳命」を祀っています。

表参道には英彦山神宮の中心となる宮がありました。
山中には他にも末社や坊舎跡などが多く見られます。さらに九州北部には「大行事社」と呼ばれる48社の英彦山の末社群もあります。
日本の何百、何千の歴史が英彦山につまっています。

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~アルキニストゆうの道~ 第4回 英彦山と山岳信仰

奉幣殿(ほうへいでん)から「上宮参道鳥居」をくぐり、上宮を目指します。
初めの石段を登り終えると下宮があります。
「下津宮」とも言い「速須佐ノ男命(はやすさのおのみこと)」・「神武天皇」・「大国主命(おおくにぬしのみこと)」を祀っています。
さらに5分程で「一の 休憩所」に到着。昔の山伏たちもここを少しずつ登っていったことを考えると感慨深いです。
そこからズイズイ登っていくと中宮に到着です。こちらも「中津宮」とも呼ばれ看板にも書かれています。
御祭神は豊前国宇佐島から遷座したと伝えられ、宗像の三女神である田心姫神(たごりひめかみ)湍津姫神(たぎつひめかみ)市杵島姫神(いちきしまひめかみ)を祀っています。
中宮があるここは山の5号目にあたり、山頂までは残り半分ほどとなります。

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~アルキニストゆうの道~ 第3回 英彦山と山岳信仰

参道を登りきると、奉幣殿(ほうへいでん)に到着します。
天平12(740)年建立といわれていますが、現在のものは江戸時代初めの元和2(1616)年に、細川忠興(当時の小倉藩主)によって再建。明治40年に国の重要文化財に指定されました。境内にある神札授与所にはベンチがあり、休憩することができます。トイレは、授与所の裏にあるスロープカー駅にあります。
三重につくられた社務所の屋根は、厳かな雰囲気。社務所前にある神池にはコイやニジマスが泳いでおり、この水は上部の「天ノ水分神(あめのみくまりのかみ)」から流れています。天ノ水分神は、流水を疎通、分配することを掌る神として崇められています。この神水は英彦山への修験者が必ず水筒に入れて飲用とお守りとして用いたものでした。最近では、不老長寿の御神水として知られています。水源は岩の間から流れる「円通の滝」よりきている霊水です。
奉幣殿の右に建つのが「上宮参道鳥居」。ここから上宮を目指して約2時間弱ほどで登っていきます。

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~アルキニストゆうの道~ 第2回 英彦山と山岳信仰

英彦山の参道は、銅(かね)の鳥居から奉幣殿まで約800m、高低差160mあります。
参道の両側には朱塗りの燈籠、杉木立、紫陽花が見られます。そしてなにより坊舎が軒を連ね、山伏たちの往来を感じることができます。当時のままの姿を残している坊舎が「財蔵坊(ざいぞうぼう)」です。県の有形民俗文化財に指定されており、現在は町立英彦山歴史民俗資料館として入ることができます。

入口の銅の鳥居脇には駐車場があり、歩くこともできます。
車でもう少し上がって右折し「英彦山花園」へつながる道を走ると左側に駐車場があり、参道の途中からも始めることも。
さらに右折せずにまっすぐ進むと別所駐車場につきます。登山客の多くはここに車を止めています。ここから参道沿いの商店まで約550m。最後急な石段を登り10,15分で奉幣殿までたどり着けます。
もしくは銅の鳥居からスロープカーという手も。足の悪い方や気軽に上がりたい方にはおすすめ。のんびりと空中散歩を楽しみましょう。

財蔵坊/添田町歴史民俗資料館(http://www.f-chousonkai.gr.jp/sight/detail64.html)
※平成29年12月4日(月)から平成30年3月16日(金)予定まで、冬季休館しています。

英彦山スロープカー(http://www.hikosan-slopecar.info/)



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~アルキニストゆうの道~ 第1回 英彦山と山岳信仰

英彦山は添田町に位置する標高1199mの霊山。出羽の羽黒山、熊野の大峰山とともに日本三大修験道の霊場として、広く信仰を集めていました。江戸時代の最盛期には800もの坊舎に3,000人の山伏が住み「彦山三千八百坊」といわれ国内最大規模の山伏集落がありました。

御祭神は天照大神の御子、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)。そこから「日の子の山」→「日子山」と呼ばれました。
嵯峨天皇の弘仁10年(819年)、詔(みことのり)より「日子」を「彦」に改名された。享保14年(1729年)、霊元法皇のとき、「英」の1字が与えられ「英彦山(ひこさん)」となり現在にいたりました。

天忍穂耳命は、鷹の姿をして東より現れた稲穂の神、農業神として知られています。英彦山神宮は農業生産、鉱山、工場の安全の守護神また勝運の神様として崇拝されています。

これから全5回に渡り「英彦山と山岳信仰」をご紹介していきます。

アルキニストゆう

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